わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

支援の現場で吹く風

f:id:miyuki_sato:20211012134905j:plain

 

 10月に入り、来年進みたいと思っている大学の研究機関の募集要項が公開となり、いまにわかに準備のための行動を始めています。

 

 

 より専門的な領域での学びがしたいと言うのが筆頭理由ではあるのですが、いま、様々な学びを受けるなか、尊敬できる方たちに出逢うたびに、「こんな頼りない自分では、まだまだとてもとても、他人様を支援したりお役に立つことは難しいだろう」という想いがいっそう強くなってきました。じゃあ、さらに学んだからと言って、頼りがいのある自分になれるのか?と問われたら、うーんと首を捻ってしまうわけなのですが。より学びと専門性を深めつつ、そして、未熟ながらも出来ることから行動する。そのバランスをとっていくのが、来年からのテーマなのかもなあと感じています。

 

 

 以前下記の記事で、宮地尚子医師の提唱している、「トラウマ環状島」について書きました。

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

「トラウマ環状島」とは、以下のような構造をしていると宮地医師は書いています。

 

 

f:id:miyuki_sato:20210910105014p:plain

トラウマ環状島

 

宮地医師は、「環状島」には、「風」と「重力」が働いており、著書『環状島=トラウマの地政学』の中で、「風」について以下のように述べています。

 

 

 

 

<風>とは、トラウマを受けた人と周囲との間でまきおこる対人関係の混乱や葛藤などの力動のことである。環状島の上空にはいつも強い<風>が吹き荒れている。内向きの<風>と外向きの<風>が吹き乱れ合い、<内斜面>も<外斜面>も同じ場所に留まりつづけるのはたやすくない。<風>にはたとえば被害者同士の間の、障害や症状やトラウマの<重さ比べ>がある。・・・(中略)(外斜面の)支援者同士の間では「共感競争」、つまり誰が被害者をいちばん理解しているかという心理的競争が起きることがある。・・(中略)以上のように、環状島はつねに強い<風>に晒されている。<内斜面>に位置する被害者同士、<外斜面>に位置する支援者同士、被害者と支援者、被害者と傍観者、支援者と傍観者といったどんな組み合わせの対人関係にも<風>は吹きつける。

 

 

宮地医師は、以上の部分を指摘しつつ、最も危惧すべきは、支援をめぐる風のぶつかり合い(内輪で争うこと)で、支援者が支援者を、被害者が支援者を排除し合うことで、せっかく立ち上がった「支援の輪」そのものが反故になってしまうことだと述べています。

 

 

 

(外斜面の)支援者同士の間では「共感競争」、つまり誰が被害者をいちばん理解しているかという心理的競争が起きることがある。

 

 

この部分、わたしには逆の意味で少し分かる気がしました。つまりわたしの場合に置き換えると、「わたしのような、まだ心理学や現場の臨床に未熟な支援者は、クライエントへの理解も浅いので、経験を積んだ先生方にお任せして、支援の現場にしゃしゃり出て行くのは控えた方がいいのではないか?」という懸念と回避に傾いた心の動きが生まれやすくなります。

 

 

一方で正直、こんな風に思うこともあります。時々ブログで、1時間でウン十万円もする、精神科の医師でも、心理士でもない、よく分からない長い肩書を持ったカウンセラーの方からカウンセリングを受けた経験を、つぶさに綴っておられる方がいらっしゃいます。その内容を目にするたびに、「そんな乱暴な感情調整のカウンセリングを受け続けたら、あなたは寛解するどころか、ますます自己崩壊してしまうよ。」と何とも解し難く、歯がゆい思いを味わうのです。これはまさに、ほんの少しばかり臨床や人間の神経系への安全なアプローチについて学んだからこそ口出ししたくなる部分なのですが、それこそ大きなお世話なので静観するのみです。ただ、だからと言って、こうした無免許でメスを振り回すようなカウンセラーが居なくなればいいのか?と言うとそうではなく、そこで一瞬でも救われて、元気になれたと思う人が存在する限り、支援としては(ある意味)成立しているわけですので、つまり(前にも書きましたが)支援を気軽に求められる場所は、どんな手法、どんな支援者であれ、いくらだってないよりあった方がいいと私は思います。ただし、そこに支配と搾取がない限りは、ですが。

 

(*ちなみに、このウン十万のカウンセラーのセッションを受け続けたクライエントさんは、資金が尽きたのか、この夏の終わりに自己破産申請をし、今は市の心理士による無料のカウンセリングを受け始めたとのことでした。ただ、資金が溜まり次第、また件のカウンセラーのセッションに通いたいとも綴っており、もはやわたしの理解の範疇を超えた次第です。)

 

 

宮地医師は、それぞれの<風>がぶつかり合うことは「環状島」においては必然で、またそれを止めることは不可能だと言いますが、ただ、被害者にとっての本当の「加害者」はたいがいもう「環状島」にはいないことに気づいているようにとも示唆しています。そして、J・ハーマンの『心的外傷と回復』から以下の文章を引用しています。

 

 

支援は難しい。支援者であることは難しい。私たちは「支援者」という役割について、まだまだじゅうぶん理解していないし、支援者としての礼儀や規範のようなものを理解した上で、当事者との関係をめぐる礼儀や規範を探っていく必要がある。支援者がつねに擁護される必要などないし、能天気に近づいていくのも困りものだが、批判を浴びるような場所にあえて身をさらそうとする、勇気のある人たちもそこには含まれる。そういう人たちが無理のない形で支援を続けていけるための方策を考えていくことは必要だ。「傍観者は何もしないでくれ」というのが、加害者の最大の要求なのだから。

 

 

わたしもいつか、そう遠くない未来において、未熟なままで、「環状島」の斜面へと踏み出し、<外斜面>の風に晒される日が来るでしょう。その時せめて、同じ<風>に晒されている心ある仲間たちとは、しなくてもよい「共感競争」に陥らず、寛容に手をつなぎ合える自分で在れたらと思っています。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

 

miusato.com