わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

調和をひとつくださいな

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 子どもの頃からずっと、自分の中に、数えきれないくらい別々の自分が、まるで入れ子状態のように入っており、都度都度現れては、「ねえ、あっちへいきたい!」「ねえ、こっちへいこうよ!」「やっぱり、これがしたい!」「ちがった!あれがしたい!」と暴れてまとまらない・・・そんな感じで、どうにかどっこい生きて来たような気がしています。

 

 そんな様だったので、いつしかわたしの憧れは「調和」であり、「調和した人」になりたいと思うようになりました。

 

 

 辞書で、「調和」と引くと、そこには、

 

うまくつり合い、全体がととのっていること。

いくつかのものが矛盾なく互いにほどよいこと。

 

 

とあります。その言葉のとおり、わたしは、抱えている複数の自分が自分の中でスンと大人しく静まって、まるで均整のとれた「幾何学模様」のような状態に未来永劫留まっていられるような自分になりたいと願いました。

 

 

でも、どう頑張っても、足掻いても、なかなか上手くいきません。「こうありたい」とイメージの中で描いた調和の「幾何学模様」は、「できた!」と思った瞬間に、ほんの些細な衝撃で、呆気なく崩れ去ってしまうのです。

 

 

出来ては壊れる。
出来ては壊れる。

 

 

いい加減、疲れてくるし、自分の不甲斐なさに、(入れ子状態の複数の自分に対して)「もう、勝手にしろよ!」と叫んで、自分から自分を置き去りにして、逃げたことも一度や二度ではありません。

 

 

また、こんな時期もありました。
「調和」というのは、実は買えるものらしい・・・という観念を得たのです。言うまでもなく、わたしは西で「調和」が買えると知れば走り、東で「調和」が買えると知れば駆け付けました。

 

 

「調和をひとつくださいな」

 

 

でも、「調和」をひとつひとつ集めてみましたが、やはり憧れの状態にはなれません。なれないどころか、「入れ子」たちは、以前にも増して騒がしくなっていったのでした。もう個人的にはお手上げで、このまま残りの人生、命がある限りは生きなきゃ仕方がないし、せめて接する他人には不愉快な思いをなるべくさせず、煩わせず、静かに、どうにか時間の消化をしてさえいければそれでいいやと思うようになりました。

 

 

転機となったのは、このブログ記事にも頻繁に登場する、「ポリヴェーガル理論」との出逢いでした。「ポリヴェーガル理論」では、すべての出来事への反応の根底には、その人の「生き残り」を保守するための「自律神経の反応パターン」があるという考え方をします。この「反応パターン」は生まれた瞬間から、もっと言えば「周産期」から脈々と形作られているもので、これが個体にとっての「安心・安全」と「危険」を見分け、社会で生き抜いていくためのスキルとなります。

 

 

わたしにとっての複数の「入れ子」たちは、この世に生まれた赤ん坊であった私が生み出した、安心・安全に生き抜くための最低限の「ライフハック」であり、命綱だったというわけです。

 

 

「ポリヴェーガル理論」では、自律神経の反応とその人自身のパーソナリティはイコールとはしません。ゆえに、自分の人格を過剰に責めることなく、過去には必要であったかも知れない「危険」に反応する自律神経を調えていくことで、現実に起きてくる行動変容を促していくという心理療法なのです。

 

 

以前からわたしが続けているスマホのアプリを使った簡単な自分の自律神経の状態を知るための手がかりがあるので、興味のある方はぜひ試してみてください。(より詳細に行いたい方は、ノートを使う方法が良いかも知れません。)

 

 

使用するのは、こちらの無料アプリです。

 

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先ず、その日あったことを箇条書きで良いので、書き出します。

 

例えば、

 

犬の散歩をして適度な汗をかいて気持ちが良かった。
買い物に入ったお店の人の態度が悪くて不愉快だった。
妹にLINEしたのに朝から既読スルー

予約していた本が思ったより早く届いてワクワクした。
夕飯のお惣菜が上手に作れた。夫に褒められた。嬉しかった。

 

こんな感じでOKです。


次のページでは、その日の「感情」を尋ねられます。

 

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感情のページ

 

この時、ひとつ前のページで書き出した出来事と、どの感情がリンクしているかに注目してみます。

 

 

犬の散歩をして適度な汗をかいて気持ちが良かった。

 

⇒満足


買い物に入ったお店の人の態度が悪くて不愉快だった。

 

⇒怒り

 

妹にLINEしたのに朝から既読スルー

 

⇒悲しい

 

予約していた本が思ったより早く届いてワクワクした。

 

⇒ワクワク

 

夕飯のお惣菜が上手に作れた。夫に褒められた。嬉しかった。

 

 

⇒嬉しい

 

 

と言った具合です。

 

 

この時観察して欲しいのは、選んだどの感情が、

 

 

「つながり・安心」
「攻撃・衝動」
「孤独・孤立・ふさぎ込み」

 

 

にあたるのか?また、どんな出来事が「孤独」から「つながり」への回復のきっかけになったのか?あるいは、「つながり」の状態から「闘争」、「孤独」へのきかっけになったのかという部分を意識的に認知することです。データがたまってくるとよりはっきりしてきます。

 

 

このワークを継続してみて分かってきたのは、その日、何か強烈に「良いこと」があったからと言って、自分が「調和」していたと感じているとは限らないということでした。むしろ、いろいろなトーンの感情が混ざっていたとしても、1か所に留まらず、自由自在に自分の感情を味わい、行き来でき、最終的には「つながり」の感情を感じて終われた時の方が、1日の「幸せ度」、つまり「調和度」が高かったのです。最近は、いま自分の自律神経はどのような状態だから、このような感情が起きてるんだな・・と、冷静に観る”センサー”みたいなものが勝手に稼働するようになりました。そして、「だからお前はダメなんだよ」と責める代わりに、「そっか、今、生き残りのための反応を必死にしているところなんだな」と自分に声をかけられるようになりました。不思議なもので、自分の状態が理解できると、他人の「生き残り反応」にも気づくようになります。「どうして、そんな態度をとるのかな?」と、不必要に他人を責めてしまうこともだいぶ減ってきました。

 

 

後から分かったことでしたが、この「複数の入れ子」こそが、IFS(内的家族療法)では、パーツと呼ばれているものでした。IFSを学び、日々自己セラピーを行えるようになったことで、ますます複数の種類の感情(それらを生み出す自律神経の状態)同士の移動がスムースになってきたような気がしています。

 

 

「調和」というものを、わたしはこれまで、こう何か、揺るぎのない、一糸乱れの無い、完全で完璧な形状をした、不動の状態なのだと思っていました。あまりに自分がバラバラ過ぎたので、それらが「1つ」に固まった状態こそが「調和」なのだろうと思っていたのです。

 

 

けれど、「調和」という完成品はどこにも売ってはいなかったのですね。

 

 

むしろ「調和」とは、絶えず揺らぎ、変化し、動き、変容するものの「間(あわい)」を自由に行き来し、そこに決して留まり続けない柔軟性のこと。いわゆる、レジリエンスが織りなす状態のことなのですね。そしてそれは、ゆっくりでも、コツコツと身に着けられるものなのだとようやく分かりつつあり、それこそが今のわたしにとっての生きる希望なのです。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

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