わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

自己開示の境界線の引き方について

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 ”世間話”って得意ですか?わたしは、今でこそ、割と普通に出来るようになりましたが、以前はどちらかと言うと苦手な方でした。^^;否、”苦手”というよりは、「それって何か意味あるの?!」と思っていたと言う方が精確かも知れません。心の中ではいつもこんな風に呟いていました。

 

 

 「だって、相手と親密になりたいのなら、天気がどうとか、あそこのお店が美味しかったとか、上っ面の”回りくどい”ことを長々話していないで、自分の人生に起きた重大な出来事に直面した時に、どう行動したのか?どう感じたのか?どんな心情を物事に対して持っているのかについて”本音で”話した方が、ずっと有意義だし、手っ取り早いのになあ。」

 

と。

 

実はこれ、一見、相手に対して望んでいることのようであって、今振り返ってみると、相手と親密になりたいと思った時に、自分でも当たり前のようにしてきたことだったように思います。で、実際のところ、それをしてみて相手との関係性はどうだったか?というと、あくまでわたしの場合ですが上手くいったかのように思えた場合ほど、後にその関係性が破綻していることの方が多かったような気がします。そしてなぜ上手く行かなかったのかの要因が、愛着のトラウマの傷にあると分かった時には、それまでの謎がいっきに氷解していく心地がしました。

 

 

 私も含め、愛着のトラウマの傷を抱えて来た人たちと言うのは、ありのままの自分の想いや感情を「それでいいよ」と受容された経験値が圧倒的に足りません。足りないというより、そこを否定されたり、悪くすると、それをすることでかえって虐待やネグレクト(情緒的な類も含む)を受けてきた場合が多いので、自分の身を守るために、率直な意見や想いを表現することを、自律神経系を巻き込んで抑圧する術を身に着けています。でも、だからこそ、「この人は安全そうだ」と一瞬でも感じられた人には、人一倍、自分のすべてを理解して欲しいという欲求が漲り、爆発するのです。しかも、相手が「明日も、明後日も」自分に好意を向けてくれているという持続的な関係性に対する信頼と確信の土台がないため、「今しかないかもしれない。今話さないと、次はないかも知れない」と切迫し、世間話など流暢なことを話しているどころではなくなってしまうのです。

 

 

 で、結果どうなるかと言うと、「わたしのあの時のあんなことや、こんなこと、あなたには全部全部知っていて欲しい。」とばかりに、お天気や好きなお店の話題をすっ飛ばして、自分の最もパーソナルでデリケートな話を、前置きになしに始めてしまったりする。^^;そのようにされて、安定して会話を続けられるのは、恐らくは心理職の心得がある方か、余程器の大きな人格者か、さもなくば、これ幸いと弱みに付け込んで利用し、搾取してやろうと企む者たちでしょう。愛着のトラウマを負った人には、残念ながら、本当の意味でこの「安全な人」と「危険な人」との区別が難しいのです。時にはそれが逆転してしまっている・・なんてこともしばしばです。どうして自分はいつも人から利用されたり搾取される人生なのだろう?と思っている方は、この”愛着の傷”を正しく理解し、見立ててくださる専門家と1日も早く繋がってください。必ず快方に向かいますので。

 

 

 確かに、お互いの弱い部分や、抱えている傷を話すことで、関係性が親密になるというのは否定しませんし、それがないと、関係性が深まらないことも事実です。ただ、心理学の研究によれば、浅い関係性での自己開示は、かえって相手の心を閉ざし、遠ざけてしまうことの方が多いというデータもあるため、注意が必要だと考えられます。だからこそ、いきなり最初から自分の弱みを見せた時に、(専門家でもない)知り合って間もない相手が、異様な同調や共感を示してきた場合、「やっとこの世界で唯一の自分の理解者を得た!」などとうっかり思い込んでしまうのは危険なのです。

 

 

 

 

 では、親密な自己開示をする相手をどう見極め、自己開示を行う際には、何を気を付ければよいのでしょうか?先日もご紹介した、ブレネー・ブラウンの著書『本当の勇気は「弱さ」を認めること』の中に、関係に書かれていましたので、そのまま引用します。

 

 ブレネー・ブラウンは、

 

”ヴァルネラビリテイ(傷つく可能性のあること)は、互いの信頼関係に基づくものなので、境界線を必要とする・・・(中略)信頼は時間をかけて一つずつ積み上げていくものだ。見境なく「何もかもさらけだす」ことは、逆に、本当の自分を知られるのを防ぐ自己防衛の手段にすぎない。自分をさらし者にすることによって満たされない欲求を満たそうとしたり、注目を浴びようとしたりするのは、ヴァルネラビリテイとはおよそ似ても似つかない。無防備さを「利用する」ことと無防備に「なる」ことは同じではない・・・”

 

とした上で、自分自身のことを開示する際に、何を話すか話さないかの境界線の引き方を以下のように述べています。

 

 

①すでに克服している揺るがない思いで話せることだけを話す。プライバシーに関わることや、まだ傷が癒えていないことは話さない。

 

②何かを教えるため、何かの前進のために自分の体験を披露するのは健全だし効果的でもあるが、自分の個人的問題を解決したいという意図があるなら不適切だし職業倫理にも反する。大勢の人々の前で生身をさらすのは、それが聞く人の癒しに結びつくときだけで、何かの反応を期待しているときではない。

 

 

さらにチェックポイントとして、

 

・なぜこれを話そうとしているのか?
・どんな結果を期待しているのか?
・私はどんな感情を抱いているか?
・話そうとする意図は、私の価値観に沿っているか?
・話した結果や反応・無反応によって、私の感情が傷つくか?
・これを話すのは人とつながるためか?
・どうしてほしいかを身近な人に本音で言えるか?

 

を挙げています。

 

 

すべてのチェック項目を何度も読み返し、いまようやく、このブログの更新ボタンを押したいと思います。

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 


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