わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

他者の苦痛へのまなざし

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 だいぶ昔、”アンガーマネジメント講座”というものを受講した際に、怒りとの上手な付き合い方(方略)のポイントの1つとして、

 

怒りが収まるまで怒りとしばらく距離をとる

 

というものがありました。それを思い出したので、この記事を書くまでには、だいぶ時間が経過していることを、先ずは断わっておきたいと思います。

 

 

 

 2020年12月4日。愛犬ベル(先代)が亡くなり、日常生活さえままならなくなっていたわたしの元へ、明けて新年2021年、それまでしばらく連絡を取っていなかった友人から、久しぶりにLINEが届いたのでした。

 

 

 「珍しいな、何だろう?」と思い、文面を読み終えた時、わたしは書かれていた内容に対し、怒りとも、悲しみとも、不愉快とも、もはや特定困難な錯乱状態に陥っていました。それが便せんであれば、恐らくはびりびりにして、破り捨てていただろうと思います。

 

 もう一言一句覚えているわけではありませんが、ざっくりと要約するとこうです。

 

「ベルちゃんが亡くなったこと久しぶりにブログで知りました。お悔やみ申し上げます。でも、みゆきさんがそんな風に泣いてばかりいると、ベルちゃんは心配で天国に行けないと思います。それと、時代はいよいよ風の時代。重たい感情は早めに手放して、軽やかになって過ごされた方が、みゆきさんの人生にとっても、良いかと思います。どうか早く元気を出してくださいね。お祈りしています。」

 

確か、こんな内容だったかと・・・。

 

 わたしはこの後すぐに、この方のLINEをブロック。返信さえできず、それから後は彼女とはまったく音信不通になりました。

 

 

 あの日から1年と少し。わたしは思いがけない形で、あの時の彼女と再会したのです。詳しい経緯は伏せますが、本当に偶然、彼女の書いたあるブログ記事を目にすることになったのです。

 

 それは、自分が長年飼っていたペットが亡くなったという記事でした。読み進めながら、わたしはあの時の怒りが再びフラッシュバックしてくるのを感じていました。なぜならそこには、ペットが亡くなって悲しんでいたところへ、ある人から、

 

「〇〇さんが泣いてばかりいると、〇〇ちゃん(ペット)が天国にいけない。成仏できないですよ。」

 

と言われて、とても傷ついた、悲しかった・・という件が書かれてあったからでした。一体、どの口が言っているのか?と言う嘆息が先ず噴出、次に、あなたがその言葉を口にし、傷ついた人間がいることを忘れたのか!?という怒りのマグマが湧きたってきました。文章はそこからさらに、こう続いていきました。

 

「でも、わたしは、その言葉は受け入れず、自分の感情に正直になり、泣きたいだけ泣きました。すると、ある瞬間から気持ちが楽になって落ち着いてきたのです。(中略)自分の感情との付き合い方を学んできて本当に良かったです。あなたも自分を大切にしながら感情と付き合う方法を学んでみませんか・・・お申し込みはこちら‥云々云々・・・(以下省略)」

 

 

 ここまで読んだ時、怒りも多分にありましたが、彼女自身のことが心配にもなりました。自分の大切な「悲嘆(グリーフ)」さえ、ビジネスに結び付けようとしてしまうほど、他者への、また、自分自身への”苦痛へのまなざし”に鈍感になってしまっているのかと。

 

 

 悲嘆(グリーフ)の感情を感じ切るというのは、経験したから言うのですが、生半可なことではありません。もちろん、個人差はあるのでしょうけれど、少なくともわたしの場合は、三日三晩泣いて、何か特別なメソッドを用いたから、「はい、もう大丈夫!」で済むようなものではなかった。

 

 

 悲嘆は時に、その人個人が培ってきた、命や生きることそのものへの定義をゆがめてしまいます。そのことで、それまで普通に出来ていた他人への気遣いが出来なくなってしまったり、不用意な発言で人を傷つけてしまうことだってある。わたしは、ベルの死を乗り越えるまでに、(おそらく気づけなかったものも含め)たくさんの方に不快な思いをさせたし、不用意な発言をしたし、関係を壊したし、仕事がまともに出来なくなり、不義理をしました。それは終わってしまったことで、悔やんでも悔やみきれないけれど、機会があるのなら、謝りたいと今でも思っています。そして、そんな私を許し、見守り続けてくれた友人たちには、今でも本当に頭が上がりません。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 いま、世界は大きな悲しみで揺れています。そして、折しも今日は3月11日。東日本大震災が起きた日でもあります。

 

 

 俳人の藤田湘子は、著書『入門 俳句の表現』の中で、阪神淡路大震災を現場で経験した方が詠んだ句と、テレビあるいは何らかのメデイアを通してそれを連想した方が詠んだ俳句を比べています。

 

 

藤田は”感激した句”と称して、以下の3句を紹介しています。

 

豆を撒く余震これより鎮まれと

 

地震(なゐ)の塵捨てに出でけり冬菫

 

震災の夢ばかりなり寒明くる

 

 

続けて、震災にはたぶん遭っていない、テレビや写真で見て、連想力で作った句だろうと次の5句を挙げています。

 

 

傾きし尖塔にある余震かな

 

避難所といふ名の広場虎落笛(もがりぶえ)

 

余震なほ脳裡の凍つる地獄絵図

 

極寒の柱こけたる神戸かな

 

寒暁をとよもす活断層の地震

 

 

 

 藤田は、震災を現場で経験した方の句の方は「日常」に近く、実際に経験をしていない方たちの句は、過度にスケールが大きく、おどろおどろしいと述べています。

 

 

わたしも読み比べてみて、正直驚いてしまいました。

 

 こんなにも事件の内側に居た方と外側に居た人ではその「主体性」が持つベクトルが違うものなのだなあと。そして、湘子のこの言葉が響きます。

 

 

『災害は吟行の対象ではないのだ』

 

 

 

わたしには、「悲嘆はビジネスの対象ではないのだ」と同意として響きました。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 昨年、東北を旅した際に感じた思いを、今日は再度思い返しながら、過ごしたいと思っています。

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 


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