わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

不連続な時間に存在していた私の3.11

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 2泊3日の東北旅行から昨日無事に戻ってきました。

 

定型な観光ももちろん楽しみましたが、震災後初めて訪れた東北だったこともあり、移動中、様々な想いがわたしの心に過りました。

 

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観光客でにぎわう海辺を少しだけ離れると、街のそこかしこに津波が来た場合の避難経路の立て看板を見つけることができました。また、「津波到達点」と書かれた矢印も多く見かけました。

 

 

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それをしたからと言って、あの日、東北の人が味わった恐怖や悲しみを理解できるなどとは、これっぽっちも思っていませんが、わたしはひとり、避難順路の矢印が示している高台に昇らずには居られませんでした。

 

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あの日、この場所から、街の人々は、どんな想いでこの海を見つめていたんだろう・・。10年が経過したいま、嘘のように穏やかな風景が目の前に広がっているにも関わらず、わたしは足元から崩れ落ちそうな恐怖を覚えました。

 

 

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 ホテルでNHKの朝のニュースを見ていた時でした。全国放送が終わり、地方局の放送に切り替わったので、「どんな内容の放送だろう?」と興味深く観ていると、それは震災で被災された方たちをサポートしているというボランテイアの男性の特集でした。その時、本当に失礼ながら、こう思った自分がいました。

 

「こういう番組、震災から数年後はよく放送していたな・・・。」

 

 

実は、NHKだけではなく、民放のニュースでも当たり前のように震災については報道されていました。わたしが現地でテレビを観られたのはたったの3日間でしたが、毎日、何らかの形で震災報道を観ることができました。そう、毎日です。東京ではどうでしょう・・。今となっては、3月前後を除き、ほとんど扱われていません。

 

 

東京に住むわたしが、「2011年3月11日」という日を思う時、それは、10年という月日の中、まるでその部分だけピックアップしたかのような不連続な「3月11日」であるのに対し、東北の人たちにとっての「あの日」は、今日まで積み重ねてきた連続する時間の中の「3月11日」なのだという事実に、なんだか頭を殴られたような衝撃を受けたのです。これこそが「意識の温度差」であり、東北の方たちがよくインタビュー等で訴えて来られた「無念さ」の要因だったのだとようやく理解したのでした。

 

 

新幹線に乗れば、東京から東北は、ほんの1時間と少しで行き来できる距離です。そのたった1時間と少しの距離の同じ国内で、あるひとつの出来事に対して、これだけの「意識の時差と温度差」が生まれてしまっていること・・・それを突き付けられた旅でした。

 

 

まだまだ、自分にも、何かできることがあるかも知れない。不連続な時間の歪をいま再び連続するものとして、向き合っていきたいと思っています。

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

 

 

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