わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

”いまの自分”という「師匠」だけ

 

 展示が終わってからも、諸々の関係者様へのご挨拶をはじめ、何かと事務的な手続きが残っていたため、ようやく忙しかった頭をクールダウンできたのが、昨日の日曜日のことでした。

 

 普段、撮影に出かけても、基本的にひとりで過ごすことが圧倒的に多いわたしの自律神経は、1週間で100人以上もの人と会って、言葉を交わして、撮って・・・と、恐らくはもう限界を振り切っていたため(笑)、反動なのか?まるでショートしたかのような静止状態に数日陥っていました。実は正直まだちょっとそれを引き摺っていて、完全復活までもう少しといったところです。^^;

 

 ですがそんな状態の中でも、先週の金曜日に開催した、主宰している花拾い句会4月卯月のシェア会は、最高に癒しのひと時となりました。

 

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  今回は写真展があったために、少し日が空いての開催となったのですが、俳句を通して、少し前の季節を振り返るのって、なんだか同窓会みたいで楽しいのです。特に4月は桜の季節でもありましたから、みんなの「あの桜の景色」が再び鮮やかによみがえって、それはそれは楽しく、切なく、美しかった。

 

 

 シェア会のたび、いつも思うのは、1ヶ月前(前月)に詠んだ自分の句が、(その時は精一杯、最善の句を投句しているつもりなのですが)幼く、稚拙に感じられること。


「あ~今ならもっと違った言葉を選ぶのにな~!」

 

そんな風に思って、後から詠み直す句のなんと多いことでしょう!!^^;

 

 花拾い句会は、所謂「先生(師匠)」という存在を設けていません。そのため、講評での訂正や批評のプロセスはないのですが、「”いま”の自分」という「師匠」だけは、どうにもごまかせないみたい。(笑)

 

 

 また、「詠む」以外にも、「読む」という句会の場では、自分以外の方の句をしっかり味わうためには、”季語や言葉の持つ意味の背景”を、より理解しておく必要性を痛感しています。これは喩えるなら、素敵なレストランに行って、世界でも希少な素材が目の前に出されているのに、「ふ~ん、何この素材、よく分からないわ~」で食べ終わっちゃうみたいなものと言ったらいいのかしら。

わたしの場合、句を詠んだその人に対して失礼・・というよりは、むしろ、出された素材をその時100%味わい切れていなかった自分が残念過ぎて、もったいない!って気持ちですかねえ・・。だから昨日よりも今日、今日よりも明日、もっと季語や俳句を深く豊かに知りたくなる。

 

 

 そんなわけで、花拾い句会には「”いま”の自分」という「師匠」だけしかいません。

そして、メンバーはみな、お互いの「師匠」を敬うことができる、やはり「師匠」だらけの集まりなのだと思います。

 

 

 今月の投句締め切りまであと2日となっておりますが、ギリギリまで、自分の心に去来した「想いの絶景」と言葉の旋律が、心地よく響き、添い合うものなのかどうか、問い続けたいと思っています。

 

 

🍀花拾い句会は、
ご登録者様が10名を超えたため、
ここで一旦参加募集を
休止とさせていただきます。
次回の募集は未定です。
(募集再開の時には
またお知らせします😊)

人数よりも、
話を丁寧に聴ける環境と、
場の質を大切にしたいためです。
何卒ご理解くださいませ🙇‍♀️

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 



 

愛着に傷つきを持つ方のピアグループ
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写真を眺めてほっと一息^^  

 

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