わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

階段の手すりと父の生きがい

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 「階段に介護用の手すりをつけたいってお父さんが言い出したんだけど・・・」

 

7月の末、そう母から相談を受けた時、わたしは「そんなのダメだよ!」と即座に反対しました。以前も書きましたが、ガンの転移で脊髄骨折をした父は、現在は車椅子生活。自力では歩けず、腰には常に大きなコルセットをつけ、歩けたとしても(歩行器を使い)ベッドの脇にあるポータブルトイレに座るときくらいといった状態です。そんな父が二階にある自分の書斎にもう一度行きたいから階段に介護リハビリ用の手すりをつけたいと言い出したと言うのです。

 

 反対したのは、もちろん安全面を考えてのことでした。平行移動さえ厳しいのに、その上、階段での上下移動など論外です。階段から転び堕ちでもすれば、今度こそ本当に”寝たきり”人生の決定です。それだけは何としても避けなければと思いました。介護をしている母の負担を考えると「今の穏やかな状態」が少しでも長く続くことがベストだと考えたのです。

 

 

 ところが、父は私たち家族の心配などまるで聞き入れません。「庭いじりもできない。散歩もできない。車にも乗れない。いま、楽しいことなんて一つもない。一体、何を生きがいに生きればいいんだ!せめて二階の自分の部屋へ上ることを目標にしてもいいじゃないか!自分の金で作るんだ!いいだろう!」の一点張りです。

 

 

 これには、皆、ほとほと困りました。でも、わたしは最後までどうにかして父が手すりを諦めるように説得しようと決めていました。そんな時、死生学の学びを深めたくて図書館で借りた1冊の本が、わたしの考えを変えたのでした。

 

 

 

 

 2010年に「世界でもっとも影響力のある100人」に選出されたインド人医師、アトゥール・ガワンデ氏が、終末期医療の臨床現場から得たリアルな気づきを綴った本です。

 

 本の中には、死を前にした人が、どんな風に自分の人生の幕を下ろしていったのか、また、その家族はその時どうしたのか?ということが書かれています。中でもガワンデ医師が自分の父親(お父様も現役の医師でした)をどのように看取ったのか、その姿勢が私の気持ちを変えたのでした。

 

 

 日ごとに弱っていく父を前にして、ガワンデ氏は完全介護で父親が何より安全に過ごせる環境を備えた病院や施設を探します。それが一番父にとっても家族にとっても良いと思ってのことでした。けれど、施設に入った父親は反対にどんどん弱っていくのです。結局自宅での訪問看護で家族に看取られて最期を迎えるのですが、そこに至るまでのプロセスが(割愛しますが)とても胸を打つのです。

 

 

 そして、ガワンデ氏が導きだしたのが、次の言葉です。

 

 

今を犠牲にして未来の時間を稼ぐのではなく、
今日を最善にすることを目指して生きることがもたらす結果を
私たちは目の当たりにした。

 

 

 いつの間にか、わたしは父にいかにして「良い死」を迎えさせるか・・そのことばかり考えるようになっていました。本当に考えなくてはいけないのは、最期の最期まで、父にどうしたら「良い生」を送らせてあげられるのか?だったのに・・・。安全が一番だと思ったのは、父にとってと言うよりは、手すりをつけて何か問題が起きた時に、介護をする母やわたしたち子どもが困らないようにするためだったのです。

 

 

「人は自分には自律を求めるのに、大切な人には安全を求める。」

 

 

「大切な人に対して、私たちがしてやりたいと望むことの大半は、自分にされたなら、自己の領分を侵すものとして断固として拒否するようなこと」

 

 

本当にその通りだと思いました。

 

 

 ガワンデ氏は死をどのように捉えなおしていくかを学ぶ「老年学」の重要さを指摘した上で、

 

「高齢者にとって怖いものは死ではない、死よりも、いずれ起こってくること、聴覚や記憶、親友、自分らしい生き方を失うことが怖い。このような結果を考えるのが好きな人はいない。その結果、大半の人は備えをしていない。介護が必要になった時にどう生きるかについては、何をするにしてももう手遅れというときまで、一瞥する程度でめったに注意を払わない。」

 

 

と述べています。今まで観ないようにしてきたことが、いま、私たち家族に、一気に現実となって迫ってきているのです。

 

 

 8月末、実家の階段に立派な介護用の手すりが取り付けられました。驚いたことに、父は自ら階段のリハビリを申し出て、理学療法士さんの力を借りて、先ず3段、次に5段、と確実に距離を延ばしていると言うのです。まだ部屋にはたどり着いていませんが、この分だといずれ目標は達成されるのではないでしょうか?

 

「自分の部屋で、パソコンで株をやったり、身辺整理をしておきたいんだ。」

 

 今朝のビデオ通話で、嬉々として話す父の顔は、まるで元気だった頃のそれそのもののようで、改めて「生きがい」や「目標」が人にもたらす力について考えさせられたのでした。

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき