帰省している間、父と語らいながら、何度か胸に熱いものがこみ上げて来ては涙しそうになったけれど、父から「もう死にたいと思ったことがあった」と告げられた時さえ、わたしは泣きませんでした。恐らくこの時のわたしは、娘の顔ではなく、傾聴者の顔になっていたのではないかと後から思いました。
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でも、ただ一度、父から枕もとに立てかけられた”リハビリ計画書”を渡され、そこに書かれてあった「目標リスト」なるページを見せられた時、憚らず泣いてしまったのでした。
目標リスト
1,1階を歩行器で歩けるようになる・・・達成〇
2,階段を1段昇る・・・達成〇
3,階段を5段昇る・・・達成〇
4,階段を踊り場まで昇る・・・達成〇
5,階段をぜんぶ昇る・・・達成〇
6,書斎でパソコンをする・・・達成〇
7,裏庭の花と野菜にお水をあげる・・・
8,外に散歩に行く・・・
「7,裏庭の花と野菜にお水をあげる」
これは身体の自由が利いた頃、父が日々当たり前にしていたことでした。この目標を見た瞬間に、ぽろぽろ涙がこぼれて来てしまったのです。
父を憐れんで泣いたのではないことだけは、自分でも何となくわかりました。ただ、理由が自分でもよく分からない、でも泣けてくる・・といった具合でした。
父はこの目標を口にしながら、「次はこれだな~。どうにかならんかな~って、今、いろいろ考えてるところなんだ・・」と、まるで初のエベレスト登頂を目指す登山家のような、どこか生き生きとした興奮を漂わせている表情を浮かべていました。
その夜、わたしは布団に入りながらぼーっと、昼間の父との出来事に想いを巡らせました。
世の中には、それこそ人の数だけ夢があって、目標があるでしょう。その中には、「世界の貧困を救いたい」,「戦争や差別のない平和な世の中にしたい」といったダイナミックなものもあれば、「会社の業績を前年度よりUPしたい!」だとか、「〇〇大学に入学したい!」といった個人レベルのものまで様々です。
でも、父の「裏庭の花と野菜にお水をあげたい」という目標が、「世界平和」に劣るとか、それよりも重要ではないなどとは、わたしには到底思えなかったのです。
父の掲げている目標の中には、どれひとつとして、「誰かのため」の目標はありませんでした。それらは、すべて父「本人」が「本人」に対して望むことばかりです。ずっと世の為、人の為、家族の為と自分を殺して生きて来た父が、こうなってようやく、「自分自身」のための目標に真剣にまい進している姿を見れたことが、わたしにとっては、最も嬉しいことだったのかも知れません。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^