わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

父が退院しました

 

 リハビリの効果なのか?それとも身体の治癒力のおかげなのか?今日は300メートルを休みなし、どこにもつかまらずに歩くことができました!これ、すごい進歩です!(嬉涙)

 

 毎朝、洗面台に立って顔を洗おうとする度に、たった数十秒の洗顔のための前傾姿勢がとれず、人知れず落ち込む日々でした。なので今日の歩行距離は本当に嬉しかった。数日前までは30メートルがやっとだったので、これから回復に弾みがつくといいなあと祈る気持ちです。

 

 身体が不自由になってみて気づいたことがあります。それは、この世の中のあらかたのものが、”健康な人”を基準にして設計されているんだなあってことです。

 

 これまでは無意識的に”健康な人”の中に居たわたしは、今回のことがあるまで、身体が不自由な人たちがこの社会で生きていく大変さを頭では理解できていたかも知れませんが、身をもってぜんぜんわかっていなかった。

 

 自宅の階段についている”手すり”のことは、この”手すり”のせいで、階段幅が狭くなって、2階のキッチンに本当は欲しかったオシャレで最新の冷蔵庫が入れられないと愚痴ったことがありました。でも、今回、この手すりにどれだけ救われたことか・・。

 

 そもそもリビングキッチンが2階にある家というのは、元気なときは陽当たりも良く暖房費も節約になってありがたいけれど、一旦、何らかの理由で歩けなくなったら家族が集える明るいリビングの意味を成しません。それこそ、2階で倒れてそのまま身動きができなくなったら、外に助けも求められず、悪くすれば死んでしまうことだってあり得たわけで・・・。

 

 道を歩けば、しんどくなってちょっと休憩したいと思った時に、ベンチをすぐに見つけられる可能性は少ない。健康な時にはなんてことなかった道路のゆるやかな段差が意外と歩行の障害であることは、今回のことがあって初めて知ったことでした。

 

 

 よく「誰もが当たり前に暮らせる社会を!」なんて言うけれど、だいたい、それを言ってる人たち自身が、”健康な人”の場合が多いので、その人にとっての「当たり前」の中には、障碍を抱えた方のリアルな視点はなかなか盛り込まれないのでは?そんなことを思いました。

 

 

 わたしも「誰もが当たり前に暮らせる世の中になったらいいな」と頭では思っていたけれど(心の底から思ってた風だったけど)、いやいや・・その”当たり前”って、とんでもない傲慢で優位性な視点から口走っていたんだわ・・と猛省しました。

 

 

 8日に父が退院しました。

 

 GWに父に会いに行こうと思いながら、そんなこんなで行けなくなった時には、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、父自身も退院が延びてしまい、結局行っても会えなかったことになります。

 

 久しぶりにビデオで父の顔を見ましたが、なんだかね…別人というんでしょうか?違う生き物・・と言ったら語弊があるけれど、父は父ではなくなっていました。「こういうおじいちゃん、昔病院でよく見たなあ・・」って、どこか他人を見るような心地になってしまって。話していても、ぜんぶに「うんうん」って頷いてあげたくなる気持ち。姿は大人だけれど、まるで赤ちゃんを見るような気持ちとでも言いますか。

 

 父との通話が終わってすぐ、母と話しました。お医者さんから、父には言っていないけれど、脊髄に転移し、手術で取り除いたガンが再発したとのことでした。ついに来るべきときが来たのか・・・と思いましたが、この時の覚悟のために、これまでの2年間があったのです。

 

 もう以前の父はこの世にはいない。その父との別れはもう終わってしまった。だから、別人になった父を、これから家族みんなで1日でも多く愛して、見送る。そんな時間が始まるのだと思いました。

 

 わたしは今、とにかく、自分自身の身体を調えるしかありません。

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

 

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