わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

親の看取り以前に愛着の問題を解決しておくことの意味

Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2

 

 父の介護のために定期的に実家に帰省するようになってから、以前にも増して思うのは、わたし自身の愛着の不全感を、本格的な看取り以前に解決出来ていて、本当に良かった・・・と言うことでした。

 

 親を看取った後のグリーフにしろ、介護の段階にしろ、愛着の問題を抱えている人の場合、定型愛着の方以上に、それらに困難を伴うことは、よく知られています。

 

 分かり易く言うと、極端な例ではありますが、自分自身にまだ、

 

「自分をもっと愛して欲しかった」
「泣きやむまで抱きしめて欲しい」
「不快なことを優しく取り除いて欲しい」

 

という愛着欲求(愛着の不全感)が多分に残っている場合、介護で親のオムツ替えをするだとか、死の恐怖で怯えて混乱している親を抱きしめてあげるだとか、安心するまで手を握って話を聴いてあげる・・etcと言ったことは、とてもじゃないですが、難しいと言って良いでしょう。だって、それらを欲っしているのは、他でもない自分の方なのですから。

 

つまり、看取りの段階においては、かつて子だった自分自身と親の立場が、しっかり逆転している必要があるのです。

 

 

 少なくとも、あなたが介護の問題に、ひとりの大人としてしっかりと向き合っているのだとしたら、愛着の問題をちゃんと乗り越えてきたのだという証になるかと思います。

 

 

 実は昨年の暮れから、伯母が施設に入院し、介護を受けているのですが、従兄は入所の折に一度面談に行っただけで、その後は一切伯母と会っていないそうです。かつては少々過保護かな?と思うくらい、子どもたちに対して口うるさく、過干渉だった伯母だったのですが、ひょっとしたら、息子を本当の意味での”大人”には出来ていなかったのかも知れません。

 

 

 心性が学童期のままで、親の死と向き合えない従兄は、この先どうなっていくのか分かりません。お世話になった伯母の手助けもしたいのですが、父の介護で手一杯なのと、病院の施設はまだまだコロナ対策が厳しく、抽選面会だったり、出来ても人数が決まっていたりして、わたしも簡単には伯母に逢うことが出来ないのです。

 

 

 

 日本はあと数年で超高齢化社会に突入するそうですが、その裏側で見過ごされてしまうであろう「愛着不全・愛着障害」の問題も、徐々に浮き彫りになっていくのではないかと推察しています。

 

 

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