傾聴の回数を重ねてきたクライエントさんにほど、意識的に時々お伝えしているのは、「私に気に入られようとしなくていいですからね」ということです。
愛着の問題を抱えている方の殆どが、「自分の正直な気持ちを伝えたら嫌われてしまう」という信念を持っています。皆さん(自分の感情より)他人の気持ちを察することの筋金入りのエキスパートなんですね。特に回数を重ねてカウンセラーやセラピストの趣向が分かってくるにつれて、この傾向は一層強まっていくようです。
「こんな風に言えば、先生は喜んでくれるかな?」
「こんな反応を示せば、良いクライエントで居られるかな?」
あまりにも無意識にしていることなので、自分でもどの反応がそれなのかが分からない方も多いでしょう?その結果は、ある日突然やってきたりします。カウンセラーやセラピストを急に嫌いになってしまうんです。
「あの先生、大したことないわ」
「わたしのこと何も分かってくれてないわ」
そして、
「やっぱり私のことを理解してくれる人はこの世に誰もいない!」
「私の一生は、孤独に終わるんだわ!」
と自暴自棄になるか、
「もっと自分のことを分かってくれる先生は他にいるはず!」
と、愛情の飢餓状態に陥って、愛着対象を探し求めて彷徨いはじめます。
このループから抜けはじめた方から、本当の意味での寛解に向かいますが、とても難しいことです。残念ながら、わたし自身、この先、死ぬまで自己セラピーが必要だと感じています(ちなみに、自己セラピーで対処できるようになった、この状態が寛解です。)。それほどに、愛着の傷と言うのは、ある種取り返しがつかないことなのですね。
で、最初の話に戻るのですが、なぜ、
「カウンセラーに気に入られようとしなくていいですからね」
これが大切かと言うと、人の気持ちを優先して、人に合わせていると、つまりは自分の気持ちを押し殺しているわけなので、それをさせている対象への恨みが募っていくわけです。最初はいいんです。それで相手から好かれることもあるわけですから。愛着不全の方にとって、相手から色好い反応をもらえるのは、最高の”ご馳走”です。でも、もし、自分の必死な努力が実らないと感じた時、それは一転してとてつもない「恨み」に変わります。結果、人が嫌いになります。
これが、愛着不全の方が、自分の傷をえぐり、孤独や愛情飢餓感を深めていってしまうからくりです。
でもだからといって、すぐに自分の正直な気持ちを言えるかと言うと、言えないというのも充分理解しています。そこが苦しいし、哀しいところなのです。
「だったら、相手が嫌がることをやってみるか!」
と、意味不明なコントロールの利かない逆ベクトルのスイッチが入ってしまって、わざと相手を振り回すような行為をし、結果やっぱり嫌われてしまう・・(以下、繰り返し)という苦い経験をされてる方もいるでしょう?これは、自己愛の暴走と呼ばれているのですが、この時期を乗り越えることも、愛着不全の方にとっては相当な試練だと思います。
だから、自己変容は少しずつが鉄則なのです。
あなたがオンラインでの傾聴中に、宅配便が届いたのか、ドアフォンの音がしたとします。ここで、「ちょっと荷物を受けとってきていいですか?」と言えるでしょうか?それとも、「今はセッション中だから我慢しよう!」と荷物を受け取るのを諦めるでしょうか?
わたしは「荷物を取ってきていいですか?」と訊かれたら、「どうぞ!」とセッションを中断します。クライエント様が戻られたら、何事もなかったかのようにお話を再開します。回数を重ねてきたクライエント様だと、そういうリクエストがあると、「良かった!」と思います。「お水が飲みたくなりました」「トイレに行きたくなってしまって」の場合も同様です。その瞬間の小さなニーズを自分で満たせるようになっているクライエント様は、今は苦しい気持ちを抱えていても、きっと時間と共に寛解してゆかれるだろうと思っています。
カウンセリングの最終的な目標は、自己の感情の耐性の窓を広げ、自己調整が出来るようになることであって、たったひとりのカウンセラーとの友好関係を結実することではありません。自分の心に安全基地を築き、そこから社会に向けて探求に出かけられるようになること。
もし、その目的に適っていないカウンセリングやセラピー(私との傾聴も含め)を続けている気がする・・と言う場合は、全部やめてしまった方が、実はよい場合もあると、わたし自身の経験上思っています。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
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(60分 3000円)
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^
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