わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

「私を信じて欲しかった」を表現して完了させる



 よくドラマや小説の中に出て来る、こんな件がありますよね。

 

 

家が貧乏な子どもが、ある時、クラスメートの給食費を盗んだと疑われる。調べてみると、その子の鞄の中から給食費の袋が出てくる。でも、本当はやったのはその子ではなく、クラスのリーダー的存在の人気者の子で、その子を妬んで仕組んだこと。しかし先生も含めて誰ひとりとして、「私がやったんじゃないです!」と訴えるその子のことを信じてはくれない。

 

・・・みたいな。

 

 

 例が極端ではありますが、「私を信じて欲しかった(でも、その時誰も信じてくれなかった)」という傷を抱えている方も、本当に多いなあと思います。

 

 

これ、なんでなんでしょうね?
どうしてみんな嘘をついている子の方を信じてしまうんだろう?
どうしてよく調べもせずに、やってないのにやったことにされちゃうんだろう?

 

 

 わたしも(状況は違いますが)、同じような場面に、何度も遭遇したことがあります。で、そのたびに、自分をこんな風に納得させてきました。

 

 

「きっと、私が悪かったんだ」
「私が悪いからこんなことになったんだ」
「何もかも、ぜんぶわたしのせい」

 

って。

 

あと、それと同時に、こんな気持ちも育っていったかな・・・

 

「誰かに言いつけてやりたい!」
「わたしに謝れ!」
「私に詫びて、愛せ!」

 

 

でも、こんな二極化したパーツの後ろに隠れているのは、

 

「私を信じて欲しかったのに!」

 

という哀しみなんですよね・・・。

 

 

 よく初めて傾聴にお申込みいただいた方で、何を話せばいいのか分からない・・と仰る方もいますが、私は「あの時、信じて欲しかったのに」や、「本当はそれをやったのは私じゃないのに!」という、喩えるなら「告げ口」的な事柄からでも良いと思っているんです。だって、そこが燻っていて、感情として完了していないから、何度でも、何度でも、表層意識にのぼってきてしまうのだから・・・。

 

 

「私が悪かったのかも知れない」

 

 

は、とにもかくにも一旦脇に置きましょう。

 

 

あなたにとっての真実をしっかり完了させましょう。

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

 

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