愛着の傷を抱えて生きてきた方というのは、ほんの少しの生物学的非礼(「疎外感」、「ネグレクト」、「孤独」等、認知ではなく自律神経が安全ではないと判断する状況)を味わうことで「耐性の窓」が簡単に過覚醒か低覚醒に移行してしまいます。
例えば、グループでレストランに食事に行ったとしましょう。あなた以外のメンバーがオーダーした食事は運ばれてきましたが、あなたのプレートだけが、何故かまだ運ばれてきていないとします。そんな時に「じゃ、みんな揃ったみたいだし、食べましょうか!」と仲間の一人が声をかけたとします。
あなたは「え?わたしの分はまだ届いてないんですけど・・・」と声を張り上げたい衝動に駆られるのですが、なぜか思ったように声が出せません。仲間たちはそんなあなたにまったく気づかない様子で、食事を始めてしまいます。
また、こんな例もあるでしょうか。昨今流行りのオンラインイベントでの一コマです。主催者が参加者に自己紹介を順番に求めていきます。自分が話す順番を、緊張した面持ちで待っていると、なぜか最後まで自分の名前は呼ばれず、そのままイベントが始まってしまいました。「わたし、まだ、話していないんですけど・・」と喉元まで言葉が上がってくるのですが、声が上手く出せず、そのまま言葉を飲み込んでしまうのです。(特に心理系の講座の主催者さん、これ、本当に気を付けてくださいね^^;その一回の配慮不足でラポールが壊れる可能性が高いですので。)
どちらのケースも、その場から離れて、少し時間が経ってから、
「わたしなんて、どうせ誰からも必要とされない人間なんだ」
「わたしなんて、居ても居なくてもいい人間なんだ」
「もう、誰とも関わりたくない」
と、自分を責め・虐め、終いには、シャットダウンへと向かわせるでしょう。
ヘルシーな愛着をお持ちの方がこれらの話を聴いても、恐らくはこう思うはずです。
「”わたしの食事はまだ来てません”、”わたしはまだ話していません”って言えば、済むことじゃない?」
って。
hanahiroinoniwa.hatenablog.com
以前にも書きましたが、愛着の傷を持った人と言うのは、自分の行動云々以前に、自己存在を否定されて育った歴史があるため、
「自己主張をすること=生命の危険」だと自律神経が手続き学習をしてしまっています。そして、なおかつ、そのような状況で適切なアクション(主張)を起こせなかった自分を「恥じて」いたりするのです。
こういった出来事・状況の積み重なりが、いわゆる発達性トラウマとなります。
どうか些細な生物学的非礼に傷ついてしまう自分や、適切なアクションをその時、その場で起こせなかった自分を「恥」かしく思わないでいてあげてください。
その自動反応は、これまでのあなたの命を守ってきてくれた、サバイバル反応であった可能性が高いのです。そしてもし、その反応が今はもう不要になったものだという自覚があったとしたら、ゆっくり、丁寧に、安心・安全に手放す時期に来ています。先ずは自分の中にある反応のパターンに気づいていきましょう。その方法なども、傾聴を行う中でお伝えしてゆけたらと思っています。
hanahiroinoniwa.hatenablog.com
☆きょうも最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
愛着に傷つきを持つ方のピアグループ
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写真を眺めてほっと一息^^