連日30℃を超える猛暑日が続いています。東京はまだ梅雨明けしていないはずなのですが・・うーん、今年もなし崩し的に梅雨明けしそうな予感~^^;
さて、あなたは「聴いてもらうこと」に癒しの力があると思いますか?
私は、心からそう信じています。おいおい、カウンセラーが「傾聴の力」を信じていなかったらダメでしょう?というツッコミが入りそうですが、それ以前に、私自身が「聴いてもらう」ことの力を深く体験したことがあるからなのです。
2003年から2009年まで、私は夫の仕事の都合で、アメリカの南部最大の都市であるアトランタに暮らしていました。
中学、高校、大学と10年近く英語を学んできたはずなのに、実際にはまったく話せない──そんな典型的な日本人の一人でした。文法はまあまあ分かるし、読むことも書くこともできる。けれど、話すことになると全くダメ。渡米後、サバイバルイングリッシュぐらいは話したい!と1年間はESL等にも通いましたが、そもそも日本国内でだって、集団行動や井戸端会議が苦手な私。ましてや不慣れな英語で、積極的なコミュニケーションなんて無理な話です。
とは言え、変なプライドもあり、英語が話せないことが恥ずかしくて、作り笑顔でにこにこしながら「あ〜」「うんうん」と愛想笑いをしてごまかしてばかりいました。
そんな中、駐在2年目、渡米直前まで働いていたボディワークの経験を活かして、アメリカ人の先生が運営する「ヒールセンター」というスクールで、アロマやリフレクソロジーの講座を手伝うことになりました。この先生がとても素敵な方で、私の下手な英語を、どういうわけか、聞き取ってくれるのでした。
ある日、サンクスギビングの休暇明けのクラスで、「あなたの休日はどうだった?」というテーマで一人ひとり英語で体験をシェアして話すことになりました。
私以外の生徒たちは、家族との時間や旅行の思い出を楽しそうに話していました。
いざ、私の順番が回ってきました。ですが、どうしてもすらすら言葉が出てきません。
(お友達の家でサンクスギビングのパーテイーをしました。ターキーを焼いて、手作りのグレービーソースがとても美味しくて感動しました!クランベリーのソースも初めて食べましたが、大好きになりました)
そんなようなことを話したかったのだったと思います。
何度も口を開こうとして、結局、声にならず、その場にいる生徒さんたちも、困惑している私を見て、ざわざわし始めた時でした・・・ひとりのドイツ人の女性が、私にこう言ってくれたのです。
「あなたの母国語でいいから話してみて!日本語でいいんだよ!私たち、ちゃんと聴いているから!」
私は日本語で、ひとつひとつ、自分の気持ちを語り始めました。
もちろん、彼らには、私が話している内容は理解できなかったと思います。
それでも、彼らは静かに、優しく、まなざしをそらすことなく、私の言葉を聴き続けてくれたのです。
彼らの温かな表情に、私は最後には涙が止まりませんでした。
しかも、話し終わった私に、彼らはこう言ったのです。
「あーりーがーとーう」と日本語で。もう号泣でした。
「たとえ内容が理解されていなくても、伝わらなくても、全身全霊で聴いてもらえている」
その実感が、こんなにも人の心をあたためるのだということを、身体の奥で知った瞬間でした。
この体験をきっかけに、私は「間違っても話してみよう」と思えるようになり、外国人と話すことが怖くなくなりました。それはまた、受験科目でしかなかった英語が、「ことば」となったきっかけの出来事でもありました。
だからこそ私は、
「傾聴って、ただ話を聞くだけでしょ?」という言葉に違和感を覚えます。