愛着障害とは、養育者との基本的信頼を築けないままに成長した人のことであると、このブログで何度か書きました。愛着が成立するためには、自分の欲求を、精神的にも肉体的にも受け入れてもらう必要があります。この土台が整うことで、子どもは自分が生きていてもいい、ここに存在していてもいい、という確信を強めていきます。
ところが、愛着障害を持った人と言うのは、この存在の許可を得られなかったために、人とのつながりを感じることができません。あるいは、心身共に不本意な侵入経験を理由に、他人との健全な境界線が希薄です。社会はキケンな場所で、助けを求めてもどうにもならない場所なのだと学習していますので、結果、自己主張ができなくなります。自己主張をしても、無視されるか、見捨てられるかのどちらかだと信じているためです。そこで、常に自分の感情を抑えて、人に合わせるようになります。これを過剰適応といいます。
いつでも安心して助けが求められると信じて成長する子どもは、自分の希望をしっかり主張することで、夢を叶えたり、心地よい人間関係を構築していきます。でも、愛着障害を持った子どもは、自分は誰からも助けてもらえるはずがないという”愛着の否認”から、慢性的に過緊張を抱え、成功を恐れたり、わざわざ不利な状況や、困難な道を選択することで、「どうせ上手くいきっこない」という独自に発展させた倫理規範を証明し続けることで自分の心をどうにか支え、それが生きる目的となってしまう人さえいます。その人生は孤独と空虚、そのものです。
この慢性的な過緊張は、自律神経に激しく揺さぶりをかけ、悪いことに、その緊張に反応した分だけ、それを強めていきます。例えば、本来多くのふつうの人は、他人と交流し、一緒にいることで、寛いだり、リラックス気分を味わうのですが、愛着障害の人は、他人からの一挙手一投足がいつ自分を攻撃してくるか分からない、見捨てられるか分からない・・と言うのがデフォルトモードとなっていますので、常に臨戦態勢(交感神経優位)です。で、交感神経モードの戦いに敗れるとどうなるかと言うと、副交感神経の中の背側迷走神経複合体が活性化しますので、凍り付き・シャットダウンの状態に入り、引きこもったり、もう消えたいと思う状態になります。外側の人からは空虚そうに見える彼らの生き方、在り方ですが、内側はまるで、常時激しいゲリラ戦場です。
では、どのような事柄が愛着障害の人の自律神経を激しく揺さぶるのでしょうか?
ポリヴェーガル理論を提唱しているポージェス博士は、それを「生物学的非礼」という概念を用いて説明しています。これは、社会的なつながりが中断され、自律神経系のネットワークが「安全」から「危険」へと転換するときに起こる不調和として体験されます。
例えば、あなたが必死になって悩みを打ち明けているその時に、目の前の人が何の断りもせずに、スマホをいじり始めたらどうでしょうか?きっと、心の中で、「ふざけんなよ!」と怒りが湧くことでしょう。この戦闘モードこそが、交感神経モードです。でもこれは、すごく分かりやすい場合の例です。実際の「生物学的非礼」はというと、先日、こちらの記事にも書きましたが、話をしている相手の傍にスマホがただ置いてあり、画面を見ないまでも、ちらっと相手が視線をスマホに落とした、ただそれだけでも、「生物学的非礼」は成立しているといいます。つまり、あなたの自律神経は「期待が裏切られた」、「つながりが絶たれた」、「ここは安全ではない」と自動的に判断し、危険に備えようと交感神経を高め、それでも状況が変わらない場合は、凍り付き・シャットダウンへと向かってしまうのです。
これは愛着障害がない人でもごく普通に観られる反応ですが、彼らはもともと「安心・安全」、「自分はこれで大丈夫」の土台がありますから、「ま、そんなこともあるよね・・」と気持ちを切り替え、回復も早いです。ですが、そもそも「わたしはここに居てはいけないかもしれない」、「つながり感がない」、「世界はキケンで不安だ」と思っている愛着障害の人にとっては、ある日不意に出くわす「生物学的非礼」がどれだけの破壊力を持っているかは容易に想像がつくことと思います。愛着障害の人にお伝えしたいのは、その反応をしてしまうのは、あなたの性格が悪いからでも、弱いからでも、人間の出来が悪いのせいでもない!ということです。自律神経は、あなたを守るため、あなたがこれ以上傷つかずに済むよう、適切な反応を繰り返しているだけなのです。
わたし自身も、「生物学的非礼」に反応しやすく、自分の反応を、「私が人間的に未熟だからだ」「私は精神的に弱いんだ」と責めて生きてきました。そして、そのように考えたり、思ったりする自分に、ほとほと嫌気がさし、消えてしまいたいと何度も思ったことがあります。
例えば、だいぶ昔、仲良くしていた友人、私も含めて3人でドライブに出かけた時に、なぜかいつも私が、誰が決めたわけでもないのですが、後ろのシートに乗るのが常になっていました。前の二人が仲良く話しているのを、後ろから聴いている時の私が感じていた疎外感と言ったら・・・。
「ここに私がいるのってわかってる?」
「どうして私ばっかりがいつも後ろの席なの?」
泥っとした怒りが、真っ黒なタールのように渦巻きます。そして家に帰ると、そんなことばかり考えて、「私も前に乗ってみたい!」の一言さえ口にできず(自己主張ができなかった。)、その場を楽しめなかった自分のことが情けなくて、「もういやだ、消えたい・・」と絶望していたのです。同様な事例は外にも数え上げたらキリがありません。
今のわたしは、これこそが、性格のせいでもなく、人格が悪いせいでもなく、自律神経の自動反応だったことが分かっています。最近では、同じようなことが起きても、人格をどうにかしようとするのではなく、自律神経の自動反応をどうしたら「つながりモード」、「安心・安全モード」に持ってゆけるかな?というアプローチの選択ができるようになりました。IFS(内的家族療法)やSE™の考え方、そして、最近ではそこにヨガの動きが加わりました。
こちらを読んでくださってる、愛着障害や複雑性PTSD、発達性トラウマの方も、恐らく「生物学的非礼」がもたらす自律神経の自動反応に過敏に反応しやすいのではないかと推測します。先ずは、その反応をしてしまうのは、あなたの性格が悪いわけでも、人間性が劣っているからでもないと理解してくださいね。そして、あなたが本当に取り組む価値のあるセラピーは、自律神経系の反応の修正であることを知ってください。いま、そんな反応の積み重ねの修正をを、誰もが安心してして続けられるような場所を作ろうと、微力ではありますが、動き始めているところです。↓
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^