今回の件で、改めて考えていること・・
それは、「自分を大切にする」ってどういうことなんだろう?ってことです。
脊柱管狭窄症を発症する前までのわたしは、自分と向き合うことや、身体感覚を通して感情を感じることで、自分のニーズに気づく・・ということも随分出来るようになったという自覚もありました。
それでもやっぱり、結果として現れてきたのは、周知の通りなわけです。
なんでかな~・・
なんでだろ~・・
わたしの中のどんな観念がこういう結果を招いているんだろう・・
どんな神経系の使い方が、身体に負荷を与えてしまったんだろう・・
身体が楽になってきたのもあるのですが、ここ数日は、ぼ~っとした時間があると思索に落ちている自分がいました。
で、今朝。
恒例の実家とのLINEビデオ会議をしている時に、ハタと気づいたんです。
私って、「自分を大切にする」という言葉の前に、いつも無意識になんだけど、
「●●よりも自分を大切にする」
って感じで、何かと比較した上で、
「自分を大切にしなくちゃいけない」
という義務感として感じられていたかもしれない・・って。
つまり、
自分と向き合うことや、身体感覚を通して感情を感じることで、自分のニーズに気づく・・ということも随分出来るようになった
冒頭に述べたこれ↑は本当だし、事実なんだけど、自分のニーズに気づいた上で、未だに、
「●●よりも」
が発動して、時として、
「●●より自分を大切になんて無理、申し訳ない、できないなあ・・・」
の葛藤(交感神経系による自分責め)をやってたんだな!って。
「自分を大切にする」
って言うのは、あくまで絶対的なもので、何かと比べてより・・・みたいな相対的なことではいんですよね。
理由とか条件付けなんてなくて、
「自分を大切にする」
はそのまんま、
「自分を大切にする」
だけで良かったのです。
そう、何も変わってなかった・・どころか、自分のニーズに気づいていた分、自分より他を優先する自覚がより確かにあった分、余計に自分の心への負荷は大きくなってた・・ということ。(爆)
「自分を大切にする」のに比較プロセスなんて、
本来いらないのですよ!!!
無自覚の時の方が、ヤバいと言えば、ヤバかったのですけどね?^^;
メンタルが弱かった時は、ストレスに身体よりも先に、心が壊れていただけでメンタルが強くなると、身体が先ず、悲鳴をあげるんだな。でもこれ、ある意味ではヘルシーな反応に近づいているのかも知れない?
なーんて、なーんて・・・
ちょっと奇妙に思える矛盾の中をくるんくるん彷徨っているのでした。
でもこれ、ちょうど愛着不全を本当の意味で抜けてきている方には、分かる流れなんじゃないかしら?と思ったので書き残します。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
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写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^
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