わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

同じようでいて、まったく違うこと

Fujifilm X100Vで撮影

 父が入院してから1ヶ月になります。
入院した当初は、口から食事を摂ることができなかったために、あとどれぐらい命がもつかは、本人の気力次第だろうと言われていたのですが、昨日、つけっぱなしにしていた点滴がはずれ、3メートルくらいなら、歩行器で移動できるようになったと母から聞きました。

 

 とは言え、食事は出された量の3割も食べることが出来ていないようですし、排泄もカテーテルで行っており、自律は無理とのこと。それなのに、本人は今すぐにでも自宅に帰りたくて仕方がなくて、医者や看護師さん、母や妹を泣いて困らせているというので、どうしたものかとみんなで頭を悩ませています。

 

 父を「生きる」ことに駆り立てているものはなんだろう?

 

父の様子を見たり、聞くたびにそのことを思うのです。

 

正直、残り僅かな命を慈しみながら、何かを成し遂げたい!何かを残したい!やり残したことがある!まだ果たせていない使命がある!感謝を伝えきれていない人がいる!逢いたい人に逢えていない!そういう未来への希望が源となっている様にはとても思えない。

 

どちらかと言えば、病院は寂しい。こんな風になってしまった自分の人生が呪わしい、悔しい。ひとりが嫌だ。こんな自分の最期は認めたくない!死にたくない!死ぬのが怖い!

 

そちらの方が強いように思えるのです。

 

 

「生きたい」も「死にたくない」も、ニーズは同じ「生きる」であるのに、同じようでいて、まったく違うんだな・・・。 

 

 

 父の「死にたくない」でいっぱいになっている心が、「生きたい」と思えるようになるには、どうしたらいいんだろう?

 

 

 そしていつも思う。

 

わたしは、どんな最期を迎えるんだろう。迎えようとするんだろう?

 

 

わたしと父は、根っこの部分でとてもよく似ているところがある。

 


だから、父を見ていると、時々すごく苦しくなる。わたしも、今の父のように、人生を呪いながら死の床についたらどうしようと怖くなる。

 

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

傾聴・カウンセリングお申込みフォーム
(60分 3000円)

 

hanahiroinoniwa.com

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  
写真家 さとうみゆき公式HP

 

miusato.com

 

 

Harmonic Photo Lessonベーシックのご案内

Harmonic Photo Lesson(アドバンス)のご案内

 

 

 

父が最後の最期に、私に見せてくれているものを、私がこれからどう消化・昇華していくのかは、私の晩年の大きな課題なのだ。