緊急事態宣言を受けて、長いこと閉園していた国営昭和記念公園が4月5日から開園したため、先週、久しぶりに撮影に行ってきました。お目当てはもちろん、この方たち・・・そう、チューリップ。昨年はこの時期に緊急事態宣言が重なり見られなかったので、1年ぶりの再会です。まるで地上に虹を下したかのようなカラフルな空間には、隅々にまで手入れが行き届いており、スタッフの方たちがどれほどこの時を待っていたのかがうかがえるようでした。本当にありがとうございます。
さて、今年のチューリップを心待ちにしていたのは、当然わたしだけではないわけで、園内は思っていた以上の人出でごった返しておりました。どこを見ても、「人、人、人」。「よし、いまだっ!」とシャッターを切った瞬間に、ファインダの目の前をやらたとでっかいレンズのついたカメラを提げたオジサマがゆらり・・・なんてことはザラで、そのたびに、「あ゛ーー」とか、「な゛ー」とか行き場のない心の声が見た目無表情の顔とは裏腹に大きくなっていったのでした。
チューリップ畑の中心地は人が多く(密も避けたいし)、もはやじっくりカメラを構えるのが厳しいと判断。わたしは人垣から少し離れた地点でのんびり撮影することにしました。「ここなら自分のペースで撮れるかな?」そう思いカメラを構えたのですが、それでもやはり人の往来が全くなくなるわけではありません。イメージに近い画を撮ろうとするのですが、待てど暮らせど、タイミングが来ない。もう、本当に、来ない。相変わらず、「あ゛ー」とか「な゛ー」とか心の声は鳴りっぱなしなわけです。ところがついに、「あ!いまだっっっ!!!」と言う瞬間が訪れます。これ見よがしにシャッターを切り、「よし!」と言う心の声を聞いた時に、快感ではなく、自分自身に対してなんだか”ぞっと”してうすら寒くなりました。なんと言うか、その「よし!」の達成感と言うのは、「あ゛ー」とか「な゛ー」とか言いながらキープし続けた、”消したい衝動”の権化、結実のような気がしたからなんだと思います。
仕事等で納品する写真を編集する際、そこにたまたま写り込んでしまった人を、ソフトで消すことは、カメラマンにとっては日常茶飯事だと思います。またそれを行うソフトの性能も年々あがってきていることを思うと、そこに大衆の強いニーズがあることは否めないでしょう。でも今回、自分の中にこんこんと湧きあがってくる「消したい衝動」に気づいて、そこに幾分かの違和感や恐怖、気持ちの悪さを感じられたことは良かったと思っています。そして、この違和感を失ってしまったら、終わりだな。そうなったら写真をやめる時だろうな、とも思ったのでした。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^
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