わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

花を贈るということ

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 ちょうど1週間前のこと。高校来の親友から「苦手な香りありますか?」とメッセンジャーで尋ねられ、「強いていえば八角かな?」と返事をしました。2年前の誕生日にとても素敵なお香を贈ってくれた彼女なので、いろいろと気が滅入ることの多いわたしを案じて今度もお香を誂えてくれるのかな?と思っていたら、届いたのは思いのほか大きな段ボール箱。大仰なセロファンのラッピングを解くと、中から出てきたのは、春色の無数の風船が今にも青空へ飛び立ちそうな色合いのフラワーアレンジメントでした。

 

 

 思えば「花を贈る」と言うあまりにもありふれた嗜みが、わたしにとって”特別なセレモニー”へと変わったのは、ベルを亡くしたことがきっかけでした。葬儀を終えた後、ベルが居なくなった家に初めて一歩踏み入れた瞬間、ぽっかりと開いた「喪失」と言うブラックホールに吸い込まれ、わたしは足元からガクガクと崩れ落ちていきました。ベルはもう居ないと分かっているのに、部屋中を探し回り、それでも居ないと分かると、再び座り込んで泣きました。そんな時でした。ドアフォンが鳴ったので、よろよろと玄関へ向かい、扉を開けると、そこに佇んでいたのは長年お世話になったトリマーさんと優しい色味で埋め尽くされた大きな大きなフラワーアレンジメントでした。

 

 

 トリマーさんから頂いたその大きなブーケを、生前ベルと一番長く共に過ごしたリビングに飾りました。朝起きて部屋に入ると否応なしに視線が花へとすい寄せられます。フリージアとバラがアレンジされていたためか、空気の対流に乗って、ときどきよい香りもしていました。花たちは、ひと月間ほど、わたしを慰めてくれました。この花たちが傍に居てくれたおかげで、ベルの面影をやみくもに探す時間がほんの少しだけ減ったように思います。けれど、その「ほんの少し」にどれだけ救われたことでしょう。

 

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 今よりも若かりし頃は、「花を贈る」と言うのは、どちらかと言えば「恋愛」や「男女」の間に交わされるロマンチックな営みのように思っていました。でも、今は「花を贈る」というのは、大切な人の「命」や「人生」そのものに寄り添う「秘義」のように感じられるようになりました。

 

 

 生きている間に、あと何回、わたしは花を贈ったり、贈られたりするのかは分かりません。でも、そんな「秘義」を交わして行ける人とのつながりこそが、残りの人生の本当の豊かさなのだと確信しています。

 

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 そして見てくださる方たちへ「花を贈る」・・・
そんな想いで、これからも写真を撮っていけたらと思っています。

 

 

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Kさん、いつも本当にありがとう^^

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき