わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

折れてみて初めて見えた鬼の角

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ベルの初七日が終わりました。


部屋のスペースをあらかた占めていた
未開封のままの
ドッグフードやペットシート、
その他諸々のグッズはすべて、
夫と相談した結果、
ベルがお世話になった
トリマーさんのご紹介で
保護犬の活動をしている
NPO法人に寄付することになりました。
被災地で救助された
老犬専門のNPO法人だったため、
シニア犬グッズを大量に持参したところ
とても喜んでもらえました。
これはベルも
嬉しく思っているのではないでしょうか?
こうやって少しずつでも
気持ちを切り替えてゆくことが
必要な時かもしれません。

 

このところ、夕暮れ空の温かさに
心が慰められています。

 

わたしにとっていま、黄昏時は、

 


「おやすみ、また明日ね...」

「バイバイ、またね…」

 

 

そんなごく普通のことを
当たり前に言い合えることが
どれほど幸せなのかを
改めて噛みしめる
切なく悲しいけれど
愛しい時間になりました。

 

また、ベルを見送ってからと言うもの、
以前のように自分の欠陥だったり
生きる上で障害だと思しき原因を発見、改善して、
いわゆる世間一般的に考えられている
”生きやすい”状態の
何者かになってみたいと言った欲求が
スコンと抜け落ちてしまった気がしています。


あまりの痛みに麻痺をして、
悲しみや苦しみのバロメーターが
振り切って鈍感になってしまったせいなのか?

 

はたまた、


聡く生きられなかったり、
他人との関りを器用にこなせない
自分の悲しみや苦しみなど
愛する存在を
永遠に失ってしまうことに比べれば
造作もないことだと
思ってしまったせいなのか?
それはよく分からないのですが・・・。

 

 

このような心もとない状況の中、
先日、たまたまアマゾンの
おすすめに流れてきた、
『ヤンキーと住職』
と言う本(漫画)を読みました。
(kindle unlimitedに
契約されている方は無料で読めます。)

 

 

 

ヤンキーと住職 (コルクスタジオ)

ヤンキーと住職 (コルクスタジオ)

  • 作者:近藤丸
  • 発売日: 2020/10/25
  • メディア: Kindle版
 

 

今年、たまたま大学で
仏教の授業を受けていたこともあり、
仏教用語の紹介をはじめとした内容は
非常に馴染み深いものがありました。

 

そんな中、とりわけ
心惹かれる言葉がありました。

 

 

それは、漫画の中に引用された
念仏詩人:浅田正作さんの

 

『折れてみて初めて見えた鬼の角
折れた思いが また角になり』

 

 

と言う詩でした。

 

books.google.co.jp

 

 

↑こちらでこの詩が
どのように引用されたのかを
見ることができます。

 

 

完璧でないわたしたち人間は、
人間関係や毎日の生活を通して、
過ちを犯すけれど、
その都度、学び、気づき、
自己研鑽し、
成長していきます。

 

例えば、他人を傷つけてしまった時などは、


「ああ、私はここに配慮が足りなかったんだ!」
「申し訳なかったー!」

と思って内省し、
同じことを繰り返さないように
改めようとします。

 

そう思えるのは、
それまで見えていなかった
自分の頭から生えていた
他人を無意識の内に
刺してきた角がポキっと折れて
ちゃんと見えるようになるからだと
詩前半の

 

折れてみて初めて見えた鬼の角


は説いています。

 

 

ところが、この詩は
ここでは終わりません。

 

折れた思いが また角になり

 

と続くのです。

 

「わたしは、ここに気づくことができた!」
「わたしのあの角は折れたんだ!
(だからもう私にはあんな醜い角はない!)」

 


そう言う思いからすぐにもう
次の角が生え始めると説いているのです。

 


 

今回、ベルの死を通して、
わたしは自分の身に余るほどの
大切な気づきや学びを得ました。

 

 

けれど、ひょっとしたら、
そこからもう、
次の「角」は
にょきにょきとたくましく、
生え始めているのかも知れない・・・。 

 

 

そのことを、決して忘れないように。

 

 

浅田正作さんの言葉は、
ずっしりとわたしの腹まで
沁みてくるようでした。

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき