
ずっと読もうと思ってなかなか手が付けられなかった本、赤坂真理 著 『安全に狂う方法』をようやく読み終えました。
いや~・・・とても良い本でした。
詳細についてここでレビューを書いても良いのだけれど、
気になる方はぜひ何の先入観もなしに読んでみて欲しいと思いました。
「アディクション?え?私にはとくに関係ないし」
と思っている方にほど、正直、手に取ってもらいたいです。
私は、この本のどこをとっても響いて仕方がなかった。
赤坂さんは、私たちにとっての最大のアデイクション対象は自分自身の「思考」だと書いておられるのですが、つまりこれって、”スキーマ”ということではないかと思ったのです。
で、これは、アディクションの本筋とは関係ないかも知れないのですが、「言葉がわたしのものになったとき」という章(P88~)で、赤坂さんが、役者志望の方が集う演劇塾で、『平家物語』が声に出して朗読されるのを聴いて、ものすごく泣いたという話が出てくるのです・・
初めて言葉が胸に迫ってきた、身体でものを言ってから、初めて言葉が自分のものとなり、自分の根源にあるものと言葉がつながった。なんということだろう。身体を差し込んでわたしのすべてで発してみるまで、言葉は本当にわたしのものではなかったのだ!
・・と仰っているのだけど、私はここを読んだときに、どうしてAIが書いた文章に、自分が全身で反応できないのかが分かった気がしたのです。
赤坂さんも仰っているけれど、「言葉を書くこと」「文字を綴る」というのは、「話す」と同じくらい、私たちが思っている以上に、身体性を伴うことだからなのだと。
ちょっと試しに、今朝、私がインスタグラムに投稿した内容を見てください。↓
********************************

徐行文
“文”って近くに小中学校があることを知らせる
地図記号だってことをすっかり忘れてて
“じょこうぶん”
って頭の中で勝手に読んで変換してた
“徐行文”ってどんな文章よ?って
ひとりツッコミ😅
ちなみに
徐行=直ちに止まれる速度で
だから
徐行文…この先、直ちに止まれる速度で読む文章あり
みたいな?😁
光の速さで過ぎていく
文字情報だらけの昨今
だから
必要と言えば
必要な標識なのかもね〜😌
******************************
思いつくまま、感じるまま、つらつらと書いた文章が上記です。
*
で、試しにこれをAIに「読みやすくリライトしてみて」と指示を出して書いてもらったのが以下です。
↓
「文」って、近くに小中学校がありますよ、
という地図記号だったことを
すっかり忘れていた。
散歩の途中、
道路に書かれた「徐行 文」を見て、
「じょこうぶん」
と、頭の中で勝手に読んだ。
徐行文。
どんな文章だよ、と思って
ひとりでちょっと笑った。
でも、考えてみたら
なんだか悪くない。
徐行とは、
すぐに止まれる速度で進むこと。
だとしたら徐行文は、
どんどん先へ読み進めるのではなく、
ときどき立ち止まったり、
少し戻ったり、
余韻が身体に入ってくるのを待ったりしながら読む文章。
そんな文章なのかもしれない。
スクロールすれば、
いくらでも文字が流れてくる今だからこそ、
読む速度を落とさないと
見えてこないものもある。
書くほうも、
読むほうも、
たまには徐行で。
「この先、徐行文あり」
そんな標識があったら、
私はたぶん、ちょっと嬉しい。
******************************
2つの文章を比較してどう思いましたか?
伝わる内容は同じか・・もしかしたら、AIの方が万人に理解してもらえる内容に整っているかも知れません。
でも、何だろう・・・?^^;
”ちょっと”の使い方や、”少し”といった微細な感覚を表現する言語の響き方に、
私は言い知れぬ心地悪さを感じるのですよ。
で、自分の文章のリライトだけじゃなくて、SNS等で、他人の文章を読んでいても、
「あ、これ、AIに書いてもらったんだな~」と不思議と分かってしまう。
別にそれを非難したいとか、否定したいとかではないんです。
ましてや、だからAIに頼らず、自分で文章を書きましょう!なんてプロパガンダをしたいわけでもありません。
必要な場合には、AIを適宜使えばいいのでは?と思っている方なので。
でも、個人発信のテキストに関しては、なんとなく、モヤモヤする。
これは、もう、どうしようもない。<(_ _)>
で、さっきの赤坂さんの本の朗読の話に戻るのですが、
初めて言葉が胸に迫ってきた、身体でものを言ってから、初めて言葉が自分のものとなり、自分の根源にあるものと言葉がつながった。なんということだろう。身体を差し込んでわたしのすべてで発してみるまで、言葉は本当にわたしのものではなかったのだ!
身体を差し込んでわたしのすべてで発してみるまで、言葉は本当にわたしのものではなかったのだ!
ここがAIの書いた文章には欠けているからなのではないでしょうか?
自分のものではない、命の、血液の、通っていない言葉への違和感なんだろうなと。
私の書く文章は、正直読みにくいと思います。
長いし、句読点があまりないし、あっても変な場所で打ってることも多い。
頭にある言葉のまんま文字にしていくので。だからといって、読みやすく、分かりやすくするために、AIに書いてもらいたいとは、どうにも思えなくて・・。(だから、クライエントさんたちから、いつも読んでます!と言ってもらえることに、心から感謝してます。)
でも、そこを放棄してしまったら、内容は格段に伝わりやすくなるかも知れないけれど、一番大切なものがごっそり抜け落ちてしまう気がするのです。
私は、私の身体性を伝える手段として、これからも、読みにくいであろう私の文章を、書いていくと思います。
今日の記事って、すごく感覚的な内容で、伝わる人もいれば、そうでない人もいると思いますが、いつか読み返したくなる内容だと感じますので、そのまま残したいと思います。
☆療育整体体験会へのリクエストもお気軽にお問合せください。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
あなたの未完了の物語を身体アプローチと対話で再編集する心理カウンセラー
・愛着の傷 / 生きづらさ / 発達凸凹
・身体アプローチ × パーツセラピー × 原始反射統合
・心の安心基地をつくっています
日本心理学会認定心理士 / 療育整体師プロ
さとうみゆき
↓セッションをお申し込みの際には、受付可能日時をご確認ください。
心のもやもやは、大きくなる前に話して、ケアしていきましょう^^
hanahiroinoniwa.hatenablog.com
花拾いの庭公式LINEができました!
メッセージから「食いしばり」「巻き肩」とそれぞれ送っていただくと、
姿勢を緩めるための簡単な動きをご紹介した動画が届きます!^^
お薦め図書↓




