こうして何年も愛着障碍だとか複雑性PTSDについて、私が克服してきた過程も含めて記事にしてきたわけですが、時々、これらを文章として存在させておく意味なんてあるのかなあ・・と思ってしまうことがあります。
ひとつには、克服の過程って人それぞれだし、私が辿ってきた道が、そのまま、どこかの誰かの正解とは限らないということ。
また、他の視点から言えば、ある程度の時間がかかること故に、書けば、書くほど、読む人は「こんな時間かけてられない。だって、今が苦しいんだもの。もっと手軽な方法はないのかしら?」と落胆、絶望してしまうのではないかしら?と懸念してしまうのです。
SE™にしろ、IFSにしろ、その他、現状最先端とされているトラウマに特化したあらゆるモダリティは、寛解までにはそれなりの時間がかかります。しかも、改善されたとクライエント本人がはっきりと自覚できる場合の方が少ない。逆に、短時間に良くなったように見えるものというのは、意識と潜在意識との間で不適合が発生する可能性が高く、かえって前よりも悪くなってしまう・・なんてこともあり得ます。
苦しい状態から早く楽にしてあげたい、だけど、その「早く」の危険を知っているからこそ、「今はここまで」のギリギリの線引きを、セッションというライブで行うことの難しさ・・・。
「いかに変化させるか」ではなく、「いかに変化させ過ぎないか」。その見極めの難しさの壁に、最近ぶつかっているなあ・・と感じています。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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