精神科医の高橋和巳先生が、講義の中で頻繁に、
「”異邦人”には認知行動療法が効かないんだよね」
と仰るのを聞き、当初は「なるほど、そういうものなのか・・」と、文脈をそのまま受け取っていました。ちなみに”異邦人”とは、”愛着障害(愛着に傷を負った人)”のことを、高橋先生が親愛を込めて名付けた呼び名です。愛着障害の人が背負ってしまった、この世の中を見る際の視点の儚さ、不確かさや、「自分は本当にここに居てもいいのだろうか?」と常に問い続けるその在り様の寄る辺なさを、あたかもこの世界における”異邦人”のようだと喩えられたのでしょう。
で、先ほどの話、
「”異邦人”には認知行動療法が効かないんだよね」
に戻るのですが、高橋先生は自分の豊富な経験則から「その傾向がある」と仰ったのであって、セミナーの中で詳細な理由までは言及されていませんでした。現場経験のないわたしは、その理由がずっと気になっていたのですが、他にもたくさん質問したいことがあったため、セミナー中はとうとうこの点についてお答えいただく機会はありませんでした。
さて、「”愛着障害”の人に、認知行動療法が効かない理由」について、ひょっとしたら、これなんじゃないか?とその仮説めいたものにたどり着いたのは、11月に受講した、津田真人先生による、「拡大ポリヴェーカル理論」講座においてでした。
とても難解な本ですので、興味のある方は先生の講座を直に受講していただきたいのですが、ざっくりとわたしが「そうか!」と思った津田先生が仰った内容を要約すると・・・
通常、私たちが「これがしたい」「あれが欲しい」と思った時、そのアクションを”するかしないか”を最終決定しているのは「顕在意識」だと思っています。ですが、実はそうではなく、顕在意識が決定する以前に、身体感覚(自律神経系)を通して、アクションを行う対象への「安全か危険か」が判断され、その信号が脳に届き、脳(顕在意識)が決定をくだしています。事実、脳から身体に指令を下す回路よりも、身体から脳へ指令を送る回路の方が多い。これまでの認知行動療法では、
出来事⇒その人特有の認知⇒行動
といった図式の中の「認知」を変えれば行動が変わるというアプローチをしてきたけれど、ポリヴェーカル理論的には、ここでいう「その人特有の認知」以前に影響を与えているのが「その人特有の自律神経の反応」であるので、先ずは「自律神経」の反応にアプローチしなければ、どれだけ思考に働きかけて「認知」を変えようとしたところで、行動の変容は難しい。つまり、
出来事⇒その人特有の自律神経系の状態⇒行動
です。
ということでした。
このことを知った時に、自律神経が「凍り付き・シャットダウン」しているトラウマを負った人、つまり愛着障害(異邦人)の人に、何故「認知行動療法」が効果がないのかが、繋がった気がしたのでした。先ずは、神経系からアプローチし、そこを改善しなければ、何百回「あなたは愛される存在です」等の自己肯定感をあげるとされる言葉を浴びせかけたところで、変容は難しいのです。逆に、自律神経系を先に整えられれば、その後の治療がスムースに進むということかも知れません。
この「身体ファースト⇒意識」の構図で行われているサイコセラピーが、SE™(ソマテイックエクスペリエンシング)であり、わたしが先日学び、春には中級へと進むことになっている身体感覚を重視したトラウマセラピーである、IFS(内的家族療法)です。
この件の他に、面白かったのは、津田先生が、「無意識」というのは、この自律神経系の回路の働きそのものだと仰ったことでした。わたしにはその言葉がもっとざっくりと「無意識って身体そのものだったんだ!」と響きました。
「無意識を目覚めさせる」とか「潜在意識を覚醒させる」的なセミナーなんかにも、かつてお目にかかったことが度々ありましたが、それらでわたしが”覚醒”?しなかった理由がはっきり分かりました。^^;だって、それらはどれも「身体」そのものにまったくアプローチしていないものだったのですから。わたし自身、「無意識」というのは、どこか頭上50センチくらい先の空間にある、異世界の箱のような場所にあって、それらを魔法のような力でどうにかしなければいけない!ぐらいな気持ちでおりました。^^;いやいやいや・・それ、ぜんぜん違いますから・・って感じです。
今年の夏以降、堅実で見識のある良いボデイワークの先生に恵まれたり、昨日はご縁あって、素晴らしいヨガの先生との出逢いが叶いました。来年にかけてもソマテイックなアプローチを継続し、よりヘルシーに生きてゆくためのトレーニングの一環としていけたらと思っています。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^