わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

忘却は正しく理解された先にある

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 よくトラウマについての知識がないごく普通の人が、「そんなに辛い出来事なら、なるべく思い出さなければいいんじゃない?」と提案してくれることがあります。”思い出さないようにしていれば、自然と忘れられるから”という優しいアドバイスなのですが、残念ながらこれが自分の意思でどうにもできないからトラウマなのです。フラッシュバックは何がトリガーとなって始まるのか本人にさえ分かりません。電車の遮断機の音かも知れないし、夕暮れに風が窓を叩く音、ふとした瞬間に家の軒先から香ってくる、魚の焼ける匂いかもしれない・・・。

 

 実はトラウマを抱えている人が再生し、回復した状態というのは、完全に思い出さなくなった状態ではなく、「思い出しても、思い出さなくても、どちらでもいい」という心の状態です。起きてしまった過去はどうしたって変えられないわけですから・・・。

 

 もうひとつ、トラウマとなった出来事や加害者を容易に忘れられない理由は、その出来事を共有し、当事者と同じレベルで知っているのが、皮肉なことに、加害者である場合がほとんどだからです。一見矛盾しているようですが、被害者が受けた苦しみの一部始終を一番観て、知ってるのは加害者自身です。密室で起きた(いじめや暴行など)トラウマテイックな出来事は特にその性質を強く帯びます。(これは無意識にですが)トラウマの被害者にとって、加害者は傷を与えた憎き本人でもあり、唯一その出来事を共有できる理解者となり得る人物でもあるのです。だからいつまでも忘れられない、忘れてしまったら(それが似非だと分かっていても)理解者を喪ってしまうから。これは少し極端な事例ですが、立てこもりの犯人とその被害者が、後に結婚する場合が少なからずあるのは、そのことを裏付ける良い例ではないでしょうか。

 

 

 

 トラウマ被害者はこのように実に両価的で複雑な矛盾状態に身を置きながら過ごしています。この状態から脱するには、時期をみて、安全・安心が保証される場所で、第三者に自分の苦しみを正しく理解される必要があると思います。トラウマ的な出来事が、自分と加害者だけのものではなくなり、「ああ、あの時辛かったんだ」、「あの時、苦しかったんだ」と体験と感情が一致した時に、はじめて心の中に「忘却」というスペースが生まれていくのです。

 

 

  忘れたいことは、「覚えていても、覚えていなくてもどっちでもいいこと」になったときに、本当の意味で忘れられるのかも知れません。

 

 

 

今週のお題「忘れたいこと」

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

 

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