わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

まだら模様の山桜

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山桜よき時代(とき)も間々ありしかな

 

 昨日から我が家に泊まりに来ている妹と一緒に、七沢温泉まで行ってきました。道中、高速道路から臨む山々には、芽吹き始めたばかりの若葉に寄り添うように山桜がところどころ桃色を添えており、いつだったかこんな和菓子を目にしたことがあったような・・と、その愛らしさを微笑ましく眺めました。

 

 

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 ところで、山に自生しているまだら模様の山桜を見るにつけ、所謂「お花見」と称して出かけていく視界いっぱいに敷き詰められたような観光地の桜たちと言うのは、人が愛でるために設えられたものなのだなあと思い知るのでした。

 

 時々、満開に揺れる桜並木を歩いていると、「死ぬまでに、これほどの人生の花道を歩める季節など果たして自分には訪れるだろうか?」と悲観してしまうことがあります。そしてその答えは、「これほどのことは、おそらくは、ないだろうな・・」、としんみりしたものだったりするのですが、まだらな山桜を見ていたら、あれ?もしかしたら、あの悲観って、自分の人生の花道をそれこそ「人に愛でてもらうため」を基準に誂えようとしてるからではないかしら?とはっと我に返ったのです。

 

 

 自分が登った”人生の山”をある日遠くから眺めて俯瞰した時に、若葉が萌ゆる時もあった、紅葉で色づく時もあった、葉を落として木肌を寒々と晒したこともあった、そして、時々だけれど、満開の桜を抱く時もあった・・・。そう、わたしの人生は自ら愛で甲斐のある「美しきまだら模様だった」。そんな風に思える方が、自然でヘルシーな心のあり様なのではないか?そう思ったのです。すると少しだけ自分との距離が生まれて、優しい気持ちで自分自身を見ているのをそこはかとなく感じて嬉しくなりました。

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

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