わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

花曇りと花冷え

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花曇りコサージュの位置定まらず

 

 

 今日はかれこれ3カ月ぶり(?)に電車を乗り継いで23区内まで出かけてきました。桜が多摩地域よりも遥かに咲きそろっていて驚きました。それどころか、早くも散り始めている木もちらほら・・・。

 

 

 久しぶりの遠出と言うことで、ちょっぴりおめかし。ブラウスの襟元に桜の花を模したコサージュを刺そうと思ったんですが、何度やっても丁度良い角度・位置にならなくて悪戦苦闘。その時の”もどかしさ”を思って詠んだのが冒頭の句です。

 

 

花曇りコサージュの位置定まらず

 

 

「花曇り」は桜が咲く頃の曇天を指す春の季語です。情景としては、生温かく決して寒くはないけれど、薄雲が空を覆って陽ざしが弱いため、少々愁いがちな風情が漂う感じでしょうか。暗くもない、明るくもない。もしかしたら雨が降るかも知れないし、思いがけず晴れてくる可能性だってある。どっちつかず。定まらない。そんな「花曇り」と言う季語の力を借りて詠んだ句です。

 

 

 この時期、同じく「花」に続く季語に「花冷え」と言うのがあります。「花冷え」は、桜が咲いてすっかり春だと思っていたら思いがけず薄ら寒い日が戻ってきた変化への驚きを表した季語ですが、もし、先ほどの句に「花曇り」の代わりに、「花冷え」を用いた場合、どうでしょうか?

 

 

花冷えやコサージュの位置定まらず

 

 

コサージュの位置が定まらない状況に、先ほどよりもどこか動揺や、切迫感を感じるから不思議です。急な気温の変化(寒さ)の中でコサージュを着けようとしている状況から、ひょっとしたら向かうのは祝いの席でないのでは?なんて想像も膨らみます。たった5文字ほどのコトバの中に、これだけの場面変容を促すパワーがある。これだから俳句は面白いです。

 

 

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パエリヤ

 

 ところで、今日のランチデートのお相手は、他大学で同じく心理学を学ぶ友人でした。彼女はわたしを大学へと誘ってくれた張本人なわけですが、学びへの真摯な姿勢にはいつも頭が下がる思いです。二人でトラウマケアについてや、脳科学、身体と心のつながりに関する気づきをひとしきりシェア・談義し、あっと言う間に3時間が経過。次回の再会を楽しみにしつつ別れました。

 

 

 大学で学べて一番良かったことって何だろう?と1年過ごしてみて思うのは、何か新しい「知識を得られたこと」と言うよりは、心と言うのは、どこまで学んでみたとしても、まだまだ、まだまだ、「分からないことだらけなのだ」と言う境地にしっかり立てたことではないかと感じています。


 
以前は、この「分からないこと」を何となく「分かった風」に語ってしまうことに何ら躊躇がなかったなと思うのです。けれど、心については、学べば学ぶほど、自分が本当に何も「分かっていない」と言うことが「分かっていく」だけなのです。これ、本人的には実に具合が悪いものなのですが、でも、これでようやく今、「問い」と一体になって生きられているのかも知れないな・・とも思うのです。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

 

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