正午過ぎ、スクールゾーンになっているバス通りを歩いていると、ランドセルに交通標識が描かれた黄色いカバーをつけた、小学校1年生と思しき集団に出くわしました。まだ4月ですから、恐らく午後の授業は始まっておらず、給食を食べ、そのまま集団下校と言ったところでしょう。
どうやら一班は6名ずつのグループになっているらしく、12名ほどの集団が2つの塊となって、わたしの前を賑やかに弾んでいました。はじめは遠くに見えていた子どもたちでしたが、絶対的な”コンパス”(歩幅)が違うのです。あっという間に追いついてしまいます。1.5メートルほどの歩道の幅いっぱいに広がって歩いている彼らは、意図せずわたしの進行を妨げる形となったのでした。
そこでわたしは彼らの輪を崩さぬよう、歩道からいっとき一段下がった車道に降り、その群れを右手に観ながら追い越すことにしました。するとその瞬間、集団の中からこんな声があがりました。
「ねえ、他の人の邪魔になっちゃうよ~!」
女の子の声でした。すると続けてまたこんな声があがります。
「じゃあ、どうするの~?」
今度は男の子の声です。
「じゃあ、みんなで一列になればいいんじゃない?!」
先ほどと同じ女の子の声です。
「〇〇ちゃん、すご~い!!!」
その女の子を讃える声が複数人からあがりました。
このやり取りを聴いた時、思わず振り返って、
「みんなすごいね!よく気づいたね!」
と言って拍手したかったのですが、それこそ知らないオバサンがただ怖がらせるだけですからね、堪えました。^^;
わたしが何にすごい!と感動したのかと言うと、私たちはこんなにも小さい頃から、目の前の状況をより良くするためにクリエイティブな対応ができるし、またそれをお互いに讃え合えるのだということ。
「他の通行人の邪魔になるから、道幅いっぱいに広がって歩かない」と言うのは、大人にしてみれば、当たり前の社会規範です。だから「一列になって歩く」というのも、むしろ自動的な反応でしょう。
でも、こんなささやかな社会規範にさえ、かつては「だったらどうしたらいいんだろう?」と試行錯誤し、それを試した仲間と一緒に、「それ、いいね!すごいね!」と言いあえていたかも知れないのです。
つまり何が言いたいかというと、ルールや規範は、守らされたり、強制されるしがらみなどではなく、純粋に「どうしたら、みんなが心地よくなれるのかな?」という視点で捉えられていた頃が我々大人にもあったのではないか?ということを、彼らの姿勢から気づかされたのでした。
現実問題としては、ルールや規範と言うのは、「規制」や「抑制」の意味合いが強いものが多いですが、この子たちが大人になる頃は、「どうしたら、みんなが心地よくなれるんだろう?」という視点から生まれたクリエイティブな仕組みやアイデアで溢れた世の中になっていますようにと願わずには居られません。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
夏雲システムを使った
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