昨日の午後は、気軽に季語を持ち寄って集う『オンライン 花拾い茶話会』を開催しました。
俳句を始めるずっと以前、学生のころから、「歳時記」に出てくる言葉の美しさには常々ときめきを覚えていた私でしたが、一昨年から俳句を本格的に詠み始めてからは、いつか誰もが”季語へのときめき”をオープンに語れる場を持ってみたいと思うようになりました。
ただ、当時は、「キャリアや実績のないわたしのような者が、おこがましいのでは・・・?(いわんや”句会”をや・・・)」という想いが強く、なかなか行動に移すまでには至りませんでした。(その引け腰な想いを、当時、現在花拾い句会のメンバーである方に告白したことがあるのですが、その彼女が昨日参加してくださっていたことも、なんとも感慨深かったです。)
結局、蓋を開けてみれば、「茶話会」より先に「句会」が走ってしまっていたわけですが、それも含め、昨日の「茶話会」の開催は、わたしにとって、温めてきた夢が実現した記念すべき日となったのでした。
昨日は私も含めた4名の参加者が、順番に好きな季語や思い入れのある季語を紹介し、その季語に対するときめき、好きになった背景、思い出などを語る時間と、それを傾聴する時間を持ちました。
数ある季語の中でも、やはり「花鳥風月」に関する季語は人気で、とりわけ「風」に関する季語は、それだけで会を持っても良いかも?!というくらい、盛り上がりました。 「月」もどの月が好き?!みたいな話から始まって、これまた話が尽きないこと。(笑)
その場に集まったメンバーは、当然お互いのことを、さほど良く知らない同士ではありますが、「季語」というこの世界をゆったり大きく包むものに抱かれながら、別々だけれど繋がっているという不思議な感覚を共有していたように感じました。
参加してくださった方の中に、北陸出身の方がいらしたのですが、彼女が先ず選んでいたのが、「日脚伸ぶ」という季語でした。「日脚伸ぶ」というのは晩冬の季語。冬至を過ぎるとこの日を境に日が少しずつ長くなっていきますが、その感覚を表す季語です。
彼女曰く、「北陸の冬は関東と違って日照時間が少なくて、冬至が過ぎるとこれから日が永くなると思ってすごく嬉しい。反対に夏至がとても残念なんです。だから、”日脚伸ぶ”という季語がとても分かるし、響く」と。
東京に暮らすわたしも、夏至の心細さや冬至への歓びは感じてはいましたが、たぶんこれ、北陸に暮らす方のそれとは比較にならないでしょう。現に「日脚伸ぶ」という季語にさほど思い入れてはいませんので。でも、こんな風に、自分からは一見遠く無関係だと思い込んでいた季語であっても、縁を持った誰かの、その季語との物語を聴くことで、もはや「日脚伸ぶ」は他人事ではないというか、自分事になったような気がしました。
「季語」はわたしたちをゆったり大きく包むものを、たくさん、たくさん、内包しています。そして、そんな「季語」を用いて詠まれる俳句という文藝だからこそ、どれほど無理なく他人事を自分事として優しく誘ってくれることか。そして、このセンサーというかアンテナは、いまを生きるわたしたちに、必要なことのようにわたしには思えるのです。
他にも、おひとりおひとりが過ごされてきた、思い出、自然や世界との関わり方が偲ばれるシェアが続き、時間が無制限であれば、まだまだ、まだまだ、話せそうなのに・・という口惜しい思いと共に、2時間近くに渡って続いた初回の茶話会はお開きとなりました。
またタイミングを見て、季語で話す「花拾い茶話会」を開催したいと思っています。^^。参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。^^次回も楽しみにしております。
☆昨日の茶話会の参加者様から、教えていただきました。NHKの文芸選評というサイトです。課題に沿った俳句が投句できます(無料)。
https://www4.nhk.or.jp/bungeisen/
愛着に傷つきを持つ方のピアグループ
ありおりカフェ、
繊細な方のための読書会、
句会等の開催のご案内はこちらから・・。
写真を眺めてほっと一息^^