よく今現在の自分の視点から、過去のある困難な時期を振り返って、
「あの時のあの出来事は、どうあれ自分にとっては必然だった」
と思うことってあります。
つまり、
あの日、あの時の、あの出来事があったからこそ、
今の自分がこうして在るのだな
と、少なくとも感謝を持って思える時に、このセリフは初めて意味を持つような気がしています。
そう、あくまで、「今の自分」が「過去の自分」に対してという時間軸です。
でも、この言葉を、時々今まさに、リアルタイムで「困難の渦中に居る人」に対して、まったく事情をよく知らない第三者から聞くことがあったりして、そういう時、ほんと嫌だな、忌々しい人だなと思います(声には出しませんけどね。あ、この人とは長いお付き合いは出来ないなと、こっそりきっぱり線を引くだけで)。
過去に起きた問題の解釈ができるのは、体験している本人だけだと思うのです。他人が必然だったとか、運命だったとか、ましてや、その出来事があったおかげだよね!なんて、口が裂けても言ってはいけません。
また今起きている誰かの問題に対しても、「神様気分」というか、「高みの見物」よろしく、「あ~あれってきっと、〇〇さんにとっては、ゆくゆくは、こういう意味を持つんじゃないかな?」とか意見を頼まれてもいないのに語り出す人も、いざって時に絶対に弱みを見せてはいけない人リストに載せて置くのがいいかなと思います。
問題は起きます。
間違った選択もね、します。人間ですからね。
後々になって、その人が「あの出来事があったからこそ、今こうして居られる」と打ち明けてくれた時には、ただ、「本当に頑張ったんだね!わたしも今大変だけど頑張る!」と言える自分で在りたいと思います。自戒をこめて。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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写真を眺めてほっと一息^^