わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

父が回復室に移りました

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近所の公園の八重桜

 

 先週、父がそれまで入院していた集中治療室から、回復室と言って同病院敷地内にあるリハビリ専門病棟へと移りました。これにより、通信電波が有効になったため、部屋からの電話連絡が家族側からも出来るようになりました。

 


 3ヶ月ぶりに父と話すことができましたが、明らかに声のトーンが暗く、弱っているのがありありと伝わってきます。「もう病院は嫌だ、家に帰りたい」とこぼすので、「そうだよね。病院なんて嫌だよね。どんな状態であれ、帰れることになったら帰ってくればいいよ。待ってるからね。」と伝えるのが精一杯でした。そんな父は、未だに下半身にしびれがあり、自力では歩けず、オムツ生活をしています。

 

 リハビリは日に2時間。平行棒につかまっての歩行訓練です。支えがある状態でなら30メートルは歩けるようになったと話していましたが、自宅のどこにもかしこにも平行棒が張り巡らされているわけではないので、実質、専門的な介助なしには日常生活は送れないことになるでしょう。主治医の先生も療法士さんも、「現時点で通常歩行の回復は難しいかも知れません」との見立てでした。

 

 

 母はいま、介護認定のための書類を揃えるのに奔走中です。ケアマネジャーが家から一番近い病院の方に決まったようなので話し合いのうえ、これから本格的に自宅での介護の体勢を整え、父の退院を待つことになります。(回復室には最長で2か月までしか滞在できないのです。)わたしとしては複雑な申請書類の記入など気がかりですが、昨今、帰省もおちおち出来ない為、どうしても困ったことがあった時は、看護師の資格を持つ従姉に助けを求めることになりました。

 

 

 実は、このまま時間が過ぎるのを待っていても埒があかないので、来週の週末にでも夫に車に乗せてもらい実家に帰省をしようと考えているところです。PCR検査の段取りもしましたし、陰性ならひとまず大丈夫では?と思うのです。以前は半ば冗談で、「このままだと、わたしたち、お父さんと生き別れるわよ!」と嘆息していたのですが、なんだかこれ、本当に冗談じゃなくなるんじゃないか?!って思えてきたのです。母からは、「ここ(地元)もコロナが増えてきてるし、家だけの問題じゃないからね。一応病院に訊いてみるから」と言われましたが、その返事はまだありません。どうにか寛容な返事をもらえると良いのですが・・・。

 

 この3か月、いくつもの悲嘆の波を乗り越えて今日まで来ました。


①父が倒れて入院してしまったこと
②父が骨折して寝たきりになるかもしれなかったこと
③その原因が、実は前立腺がんだったこと
④父がそう遠くはない未来に死んでしまう現実
⑤母の不安と寂しさ、それを受け止めきれないはがゆさ
⑥実家へ帰らざるを得ない妹の悲嘆
⑦父の絶望と苛立ち
⑧これから戻って来た父をどうケアしていくかへの不安(←いま、ここ)

 

 

それでもよくしたもので、「今後、どうケアしていくか」と言った具体的なアクションをとれる段階に来たことで、家族全員がどこか腹が括れたと言うのか、淡々と落ち着きを取り戻してきたのは事実です。時間はかかりましたが、わたし自身もだいぶ気持ちの整理がついてきました。ここまで準備の時間があったことはむしろ幸運だったのかも知れません。

 

 

 

 ふと思ったのです。わたしは子供を産んだ経験がないから「生」を迎え入れるまでの準備については分かりませんが、「死」においても、たくさんの人の運命を有無を言わさず巻き込むと言う意味では、何ら変わらないのではないか?と。あと数か月後、我が家は本格的に父を中心とした介護生活が始まります。自分には何が出来るのか?どうしたら、家族みんなで父の最期の人生の花道を飾ってあげられるのか?手さぐりでやっていくしかないですね。

 

 


きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

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