わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

2021年事始め、先ずはひとつ、またひとつ。

f:id:miyuki_sato:20210106192900j:plain

 

明日で松も明けますね。
寒の入りとは言ったもので、
この頃朝起きるのが
どんどん辛くなってきました。


さて、新年が始まって数日経ちますが、
今年新しく始めたことって、
あなたにはありますか?

 

わたしはいくつかありますよ。^^

 

 

f:id:miyuki_sato:20210106193924j:plain

先ずひとつ、「3年日記」を始めました。

 

 

たまたま他の用事があって入った
文房具店で見つけて、
装丁があまりにも好みだったために
買ってしまいました。

 

 

同じページに3年分の
同じ日付の日記が綴れる・・・
(スペースが6行程度なのも良いです)
と言う代物です。
長期的な視点に立って、
自己分析をしてみるのも
まあ、面白いかも?と思っています。
今のところ欠かさず続いてます。(笑)

 

ふたつ目。
遅ればせながら、一昨日、
"メルカリ"デビューを果たしました。



以前からアカウントは持っていたのですが
もっぱら買う方専門でした。
売る側になるのは初めての経験で
ドキドキしましたが、
いざ挑戦してみると、
登録をはじめ、
プロセスのあまりの簡潔さにびっくり!

 

 

しかも、のんびり売れればいいや・・と、
手放す品を10点ほど並べたところ、
24時間もしない内に
なんと全ての品が完売に!
(メルカリってそんなものなのですか?)

 

結果、のんびりなど
構えて居られなくなり、
昨日は梱包作業&発送作業に追われ、
へとへとになりました。
(次出品するのが怖いです。)

 

そして3つ目。
これこそが、
今年「始めてみよう」と
思い描いていたことの
本命中の大本命なのですが、
かねてから入塾したいと思っていた
若松ゼミに参加できることになりました。

 

 

 

若松ゼミは作家の若松英輔さんが主宰する
「読むと書く」ことを通して、
自分自身の人生哲学を模索し、
それを同じ志を持った
仲間たちと分かち合える場です。
(さらには講座で自分が書いた文章を
若松さんに添削していただけるのです。)

 

 

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

  • 作者:若松 英輔
  • 発売日: 2015/11/27
  • メディア: 単行本
 

 

 

初めて若松さんの著書を読んだ時、
(この表現が妥当かどうかは分かりませんが)
まるで、まだ温かい自らの”血のインク”で
綴ったような文章を書かれる方だなと
敬服したことを今でも忘れられません。

 

 

 

いつかこの方の傍で、
若松哲学の精神を慕って
集まったお仲間たちと、
書くことや読むことを学べたら
どんなに素敵だろう・・・と憧れてはいましたが
昨年は大学の学びがスタートし
心に余裕もなく、
更にはベルのことも重なり、
延び延びになっていました。

 

 

入塾にはレポートの課題提出と
審査もあったため、
この休みに意を決して取り組み
返事を待っていたのですが、
今日、無事にゼミへの招待が届いたのです!
やはりコロナ禍で、
しばらくはzoomを使った
オンラインでの学びとなりそうですが、
これは本当に本当に楽しみです!


 

そして4つ目。
今週の日曜日には
初句会なるものに参加します。
(昨夜、締め切りギリギリで
課題を提出しました^^;)
自分が詠んだ俳句が、
初めて他人の評価にさらされるので
それはもう、かなりの緊張ですが、
初心者ですからね^^;
「まあ、こんなもんだよね」
ぐらいの気持ちで
楽しみたいなと思っています。

 

 

今月は外にも1年に渡る
心理アセスメントの学びも始まります。
緊急事態宣言の発令を
良い意味で忘れそうなくらい
盛だくさんなスタートダッシュですが、
締めるところはきっちり締めて、
楽しめることは存分に楽しんでゆきたいです。

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

相棒元日スペシャル2021に見る悲嘆ー表現か?行動か?ー

f:id:miyuki_sato:20210102194038j:plain

 

元日夜にオンエアされた
『相棒元日スペシャル2021』ですが、
あなたはご覧になられましたか?

 

所謂”刑事モノ”と呼ばれている類の中で
わたしが唯一見ているご長寿番組なのですが、
毎回その脚本の精巧さには唸るばかりです。

 

さて、今回扱っていたテーマ
”少年犯罪”も、
実にデリケートでいて、
観る人に思索を強いる内容でした。

 

 

あらすじの詳細は割愛しますが、
ご覧になっていない方は、
こちらをどうぞ!

↓  ↓  ↓

 

news.ameba.jp

 

 

 

わたしが今回のあらすじで注目したのは、
”感情をどう扱うか”と言う部分でした。

 

 

少年犯罪によって、
大切な人を殺され、喪ってしまった人々が、
責任能力がない未成年だからと言う理由で
罪を裁かれなかった犯人の少年たちを恨み、
数年後に協力して復讐殺人に走る・・・
と言うストーリーなのですが、
彼らはみな、同様の辛い経験を持ち、
対話することで立ち直ろうとするNPO団体、
ピアグループ(当事者グループ)で
出会っています。


そのNPO法人の責任者役の方が
以下のようなことをドラマの中で
主人公である刑事たちに語りかけていました。

 

 

大切な人を殺された遺族は
ときに犯人に対して殺意や復讐心を抱きます。
そのことについては当たり前だし、
その気持ちを話すことには、
何の問題もないのです。
けれど〇〇さん(復讐に走った遺族の中核人物)
の場合は違っていました。
具体的にどのようにして犯人に
復讐するのかの方法を話していたのです。
他のメンバーの方で不快に思う方もいらしたので
それとなく諭したところ退会されました。

 

 

ここでわたしが疑問に思ったのは、


同じ辛い経験を負っていたとしても、
復讐に走った人たちと、
そうしなかった人たちとでは、
いったい何が違ったんだろう?

と言うことでした。

 

 

あくまでもドラマ(フィクション)なので
現実的な考察をする上で
不十分であることは
重々承知なのですが、
大切な人を喪ったことによる
悲嘆感情のエネルギーを
「表現」する方に向けたのか?
それとも
「行動」する方に向けたのか?
の違いだったのではないかなあ?と
感じたのです。

 

 

「犯人をよっぽど殺してやりたいと思いました」
と、グループカウンセリングで自己開示することは、
感情の「表現」にあたります。
「殺したい」のは本当の気持ちだし、
嘘ではないでしょう。


一方、

 

「犯人を、~~に呼び出して、
~~と言う凶器を使って、~~のタイミングで
~~して殺してやります。」
これは具体・計画の発表であって、
その先にあるのは、「行動」です。
そこには「感情」の「表現」はありません。

 

 

そう考えると、
”感情”と言うエネルギーが起こった時、
「~~と言う感情を持っている自分がいる。」
先ずはそれをそのまま声や言葉にして
「表現してみようか?」
と言う流れ作りを意識しておくのは、
とても大切で、最終的により望む「行動」へと
自分を運んでくれるのではないか?
そんな風に思ったのです。

 

あまりにも強い感情が湧いた時って
それをどう扱って良いものか、
本当に難しいものです。
わたしもこれまでに
何度丁寧な「表現」を端折ってしまい、
失敗していることか・・・^^;

 

 

「感じる」ことに善も悪もないけれど、
感情が起きた後、ひとっ飛びに
「行動しよう」とするよりも、
先ず、何らかの「表現」を選べる
自分でありたいものです。

 

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

必死過ぎて写真が一枚もない

f:id:miyuki_sato:20210102185321j:plain

 

元日から連日、
東京は気持ちの良い冬晴れが続いています。

 

今年は帰省ができなかったため、
(海外駐在中は除き)
初めてお正月料理を
すべてわたしが準備したのですが・・・

 

結果は言わずもがな・・・

 

 

実に、微妙~。^^;

 

 

もともと料理があまり得意ではない上に、
いや、だからこそなのか?!
素直に買って済ませれば良かったような
難易度の高いメニューに
無謀にも挑戦してしまったために、
元日の夜も更けるころには、
もはやこの先1年分の料理を
作ったかのように消耗してしまいました。(涙)

 


鯛めしは、意気揚々と
炊いたまでは良かったのですが、
不器用過ぎて身がほぐせず、
最後は隣町から
泊りに来ている妹に”骨とり”を丸投げ!

 

お雑煮のお餅を
オーブンで焼いたところまでは
順調だったのですが、
アルミホイルにお餅が張り付き
剥がせなくなったために、
軽くパニックになり、
それも妹に丸投げして
救済してもらった次第です。^^;

 

唯一、煮しめは・・・
まあまあ・・・だったのかなあ・・・。

(一番”まとも”だったと言う意味で)

 

 

なんだか大晦日から料理三昧で
もう凝ったものを何一つ作りたくなくなってしまい
その反動で元旦から買ってしまったのが
こちらの本でした^^;

 

 

悪魔の手抜きレシピ[雑誌] エイムック

悪魔の手抜きレシピ[雑誌] エイムック

 

 

まだ1品も作ってないのですが、
制作工程が極力少なくて
これなら「やってみようかな?」
と辛うじて思わせてくれる献立ばかり。


これだよ、これ。
こういうの、わたし向きなの!

 

わたしは、お料理が好きな人を
無条件に心の底から尊敬しています。

 

 

明日妹が帰ったら、
しばらくはのんびりしよう~っと。

 

 

あまりに余裕がなさ過ぎて、
なんと、せっかくの正月料理の写真を
一枚も撮っていませんでした^^;

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

謹賀新年

f:id:miyuki_sato:20210101135332j:plain

 

新春のお慶びを申し上げます。
(写真は自宅付近から見える富士山と
初日の出です。)

 

ほそぼそと書き綴ってるこのブログに
そっと訪れてくださる皆さま、
いつも本当にありがとうございます。

今年もマイペースで
歩みを進めて参ります。
2021年もどうぞ宜しく
お付き合いくださいませ。

 

 

2021年、元旦。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

幸先詣に行ってきました

f:id:miyuki_sato:20201229191427j:plain

 

29日でふく(福)と言うことで、
近所の氏神様へ幸先詣に行ってきました。

 

今年は帰省をせずに東京で過ごします。
お正月に帰省をしないだなんて
アメリカから帰国して以来初めて・・
そっか、11年ぶりです!!

 

 

今年はコロナ禍に大学入学に
ベルとの別れ・・・と、
いろいろなことがありすぎて
まだ全然消化出来ていませんが、
この”衝撃”を、癒そうとするのでも、
乗り越えるのでもなく、
心に抱いて、
今はただそっと運んでゆくより他
ないような気がしています。
自分の限界についても
思い知った1年でした。
それと同時に、周囲のサポートの
ありがたさに改めて
感謝をした1年でした。

 


来年1年をどう過ごしてゆくのかさえ
まだ見えてこない。
こんな年末って今まであったかな?
なかったんじゃないかな?

 

ひとまず決定しているのは
どうにか無事に進級が決まりましたので
来年は大学4年生。
最終学年です。

 

専門をそろそろ絞りたいなと
思っていましたが、
決まりました。

 

グリーフケアと死生学。
主にスピリチュアル・ケアについて
深めてゆこうと決めました。
やはりベルの件が
進路決定に大きな影響力を持ったことは確かですが、
決めた時に、心が妙にしっくりと定まったのです。

 

そして、これまでずっと
大学卒業後は大学院への進学をと
考えてきましたが、
そこをいったん白紙に戻そうと思います。

 

 

卒業後の進路については
あらかたのプランを描いてはいますが、
来年1年間、学びを深める中で
最終的に決定したいと思っています。

 

 

なんだか今日はとりとめもない記事ですが、
この頃、筆があまり進まずに
モヤモヤしているので
頭に浮かんだままに
キーボードをたたいてみました。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

2020年最後のフォトレッスンは上野動物園でした

f:id:miyuki_sato:20201224122835j:plain

 

昨日は今年最後のフォトレッスンを開催しました。受講者さんからのリクエストが「パンダを上手く撮りたい!」だったので、開催地は上野動物園となりました。

 

上の写真は↑シャンシャン。たまたまお昼寝のタイミングだったのと、その場に立ち止って撮影してはいけないルールだったこともあり、まともに撮れていたのがなんとこの1枚だけだったと言う・・・。^^;でも、無防備で愛くるしい寝姿に、にわかファンではありますが、すっかり心を奪われてしまいました。

 

f:id:miyuki_sato:20201224122946j:plain

シンシン

シャンシャンの撮影は不完全燃焼気味でしたが、その後訪れた「パンダの森」に居たお母さんのシンシン、お父さんのリーリーの撮影は受講生さんもわたしも、かなり健闘出来たのでは?と思います。常に動き回っているため、シャッターチャンスはほんの一瞬です。「そこでちょ~っと止まってもらえますか~?」の声掛けて静止してくれる人物ポートレートのありがたみをしみじみ噛みしめてしまいました^^;

 

f:id:miyuki_sato:20201224123006j:plain

リーリー

 

実はわたしにとって上野に限らず、動物園に行くこと自体かなり久しぶりのことでした。最後に訪れたのは婚約中の夫とでしたので、つまり24,5年前と言うことになります。当時、夫の従兄弟が上野動物園の園長を務めており、関係者だけが立ち入ることができる動物園の地下ルートを通り動物たちを鑑賞したのです。貴重な体験だったとは思うのですが、正直それほどのありがたみも感動も覚えていませんでした。苦手だったのです。動物園が・・と言いますか、動物園の匂いが。どうしても。

 

f:id:miyuki_sato:20201224123052j:plain

 

 

f:id:miyuki_sato:20201224123147j:plain

 

けれど、昨日、24,5年ぶりに訪れてみると、確かに「匂い」はまあ相変わらずではあったのですが、その場に立っている自分の意識?感覚?が以前とはまるで違っているのです。各々の動物たちが、驚くほど愛おしく見えるのです。ふとした瞬間に見せる、彼らの表情やしぐさ、その感情表現の豊富さに圧倒されました。「こんなにも動物たちって表情豊かだったの?!」。撮りながら、わたしの中の、人間と動物を分けている”境界線”のようなものがどんどん薄まって最後は見えなくなってしまいました。

 

 

f:id:miyuki_sato:20201224123025j:plain

 

動物たちが、本能のまま、互いを無心でケアしあう姿を見ていると、その純粋さに自分の奥深くから何かこみ上げてくるものを感じました。

 

f:id:miyuki_sato:20201224122726j:plain

 

何か気に食わないことがあった時にも、その時は互いに本気で噛みつき合うけれど、気が済んだあとは、数分前にあったことなど嘘だったかのように平然と場を共有し合う姿に、尊敬をおぼえました。

 

f:id:miyuki_sato:20201224123105j:plain

 

子を抱きしめ天を仰ぐ母サルの表情に、神々しい何かを見る思いがしました。

 

f:id:miyuki_sato:20201224122930j:plain

 

寄り添って、その場にただ「共に在る」姿に、たまらない安らぎを覚えました。
動物たちの織り成す世界には、わたしが愛し、求めてやまないものがすべてむき出しのまま存在しているかのように思えてなりませんでした。

 

 

これまで見えているのに、見てこなかった動物たちの表情に、どうしてこんなにも触れられるようになったんだろう?と思った時に、やはりベルの存在を思いました。どの動物を撮っていても、自然とそこにベルの姿が重なって見えてゆくのです。14年間、動物と過ごした時間はこんなにもわたしの感性を変容させていたのか・・と、驚きました。

 

f:id:miyuki_sato:20201224132303j:plain

 

今年最後のフォトレッスンの開催地が動物園だったことにも、きっと何か意味があったような気がしています。受講生さんは昨日が初の一眼レフデビューだったわけですが、スマホカメラではもはやカバーできなくなっていた視点を手に入れ、ますますパンダ愛が写真を通して炸裂して行くのだろうなあ・・と、これからが非常に楽しみです。

 

 

いや~、それにしてもパンダの撮影ってほんっと難しいです!^^;

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

我が家で起きている不思議現象と戻ってきたお金の話

f:id:miyuki_sato:20201220091721j:plain

 

犬を飼っている(いた)方たちのブログを読んでいると、その犬が亡くなった後、部屋の中にもう居ないはずのその仔の気配を感じたり、首につけていた鈴の音がした・・・なんて話をこれまでかなり見聞きしてきました。

「たとえ幽霊でもいいからベルにもう一度会いたい!」夫もわたしも見送ってからと言うものその一念でしたが、残念ながらそんな機会には恵まれず、初七日も過ぎてしまったある日のこと。

 

近所のドラッグストアに行き、買い物を済ませて帰宅したわたしに、夫がおもむろにこう尋ねたのです。「忘れ物でもしたの?いったん家に戻ってきたよね?」。答えはもちろん「NO」。今帰ってきたところで、戻ってなんていないと告げると、「おかしいなあ・・。玄関のドアが開いた音がしたんだよ。」と首を傾げるのです。我が家の玄関には数本のガラスの棒を束ねたようなドアベルがぶら下がっており、ドアが開くと同時に高音で「シャラシャラシャラ・・」と言う音色が響き渡ります。夫はその音が確かに聞こえたと言うのです。「疲れているんじゃない?気のせいだよ。」と夫には告げ、その時はこの件を終えました。



ところがまた別の日、今度は夫が外出し、わたしが家で留守番をしていた時のことです。予定の帰宅にはだいぶ早い時間に、玄関のドアが開き、ドアベルの音が鳴ったのを聞いたわたしは、「おかえりー!早かったねー!」と玄関に向かいました。ところがそこには誰もいません。さすがにこれには怖くなり、「まさか侵入者がいるんじゃないでしょうね?!」と、1階の部屋をびくびくしながら隈なく見て回りました。(我が家は日中を過ごすリビングが2階と言う構造です。)幸い、危惧したようなことは何も起きていませんでした。

 

夫の帰宅後、さっそくこの話をしたところ、「ベルが部屋を出入りしているんじゃないか?」と言う考察に行きつきました。もちろんそれが、どんなに”非科学的”な考察であるのかは百も承知の上です。でも、そうとしか二人とも思えなくなっていました。

 

 

更に話はこれで終わりませんでした。今度は二人一緒にリビングで仕事をしていた時のこと。今度はしっかり閉めたはずのリビングの扉がカチャリと開閉の音をたてたのでした。「きこえた?」「うん、きいた。」「わたし、さっきトイレの後、扉閉めたよ?」「だよな?」。頷き、 私たちは、それ以上もう語ることを止めました。他人が聞いたら気のせいだと思われることだと分かっていても、もはやそれは「ベルだ!ベルは近くに居る!」と言うことを二人とも疑っていなかったからでした。 また心理学を学んでいる身としては、「これが、所謂ナラテイブアプローチ*なのかも?」と言う好奇心もありました。(*ナラテイブとはクライエント自身が出来事をどのように見ているのか?をその人が紡ぐ独自の物語と見なし、その物語にカウンセラーが丁寧に伴走することで傷を癒していくと言うアプローチのことです。)

 

 

次にお話することは、それこそわたしの”ナラテイブ”と思ってお読みいただきたいのですが、それはベルのおかげで、あるお金が戻ってきたと言うお話です。

 

先週、金曜日の朝のことでした。
普段であればNHKの朝ドラを見終わった後は、自宅でのリモートワークの準備に入るために忙しなく支度を始める夫が、なぜかその日に限ってだらだらと民放の情報番組を何かぶつくさ文句を言いながら観ていました。キッチンで洗い物をしていたわたしは、「どうしたの~?何をそんなに怒ってるの~?」と言葉を投げかけました。すると夫は心から軽蔑すると言った口調で、「仔犬の育児放棄が増えてるらしいぞ!ふざけんなだよな!捨てるなら飼うんじゃねえよ!馬鹿なのか!犬はファッションでもアクセサリーでもねえんだよ!そう言うやつは死んで地獄に落ちろ!くそ!」と吐き捨てたのでした。そんなことを聞いてはわたしも黙ってはいられません。「何それ!」と急ぎテレビの前へと走ったのですが、ニュースはちょうど次のトピックに切り替わってしまったところでした。「あーあー。終わっちゃったか・・・」残りの洗い物を終わらせようと踵を返し、キッチンに戻ってゆこうとするわたしの耳に、あるフレーズだけがくっきりと飛び込んできました。そのテレビの声はこう告げたのです。

 

 

「ビットコインがいま高騰中と言うことで・・・」

 

 

 

今からもう4~5年ほど前の話になります。一時深く関わっていたビジネスコミュニテイがありました。そのコミュニテイメンバーの中におひとり、株式投資のプロの方がおり、当時流行っていたビットコインをはじめとする”仮想通貨”についてのセミナーを受ける機会があったのです。ここで今のわたしがその場に居たら、「投資こそ素人が手を出したら絶対にダメな界隈!自ら投資や金融について勉強する意思がないのなら、やめておきなさい」と全力で諭したことでしょう。けれど、その頃のわたしは”新しい時代の経済”だとか”未来のお金の在り方”なんて上辺の言葉に踊らされ、物事の本質を、自分の頭で分析・考察し導き出す筋力が全くありませんでした。「おもしろそう!」と言う感覚に任せることこそが生き方の正義だと信じていたあの頃のわたしは、つまりただの世間知らずの「お馬鹿さん」でした。

 

 

結局セミナーを受けたわたしは、そこそこまとまった金額をビットコインにつっこみました。「とにかく今、これを持っておくことに意味があるから」と言う言葉を鵜呑みにし、いったん売買を行った後は、専用サイトにログインすることもほぼなく、1年くらいが過ぎたある日のこと。
世の中の金融ニュースは仮想通貨のブームから一転、ビットコインの大暴落のニュースに切り替わっていました。訴訟問題なども起きていたことも記憶に新しいと思います。久しぶりにサイトにログインし自分の口座を見たわたしは愕然としました。なんとそこで見たものは、以前は6桁あった残高の数字が3桁に変わっていた事実でした。あまりのショックに、それ以降サイトにログインをする気すらまったくなくなってしまいました。アカウントを解約しようにも、3桁の残高ですから返金の手数料を差し引いたら残りは1桁かも知れなかったから。

 

 

それから2年の月日が経ちました。ベルはもともと持病持ちの子でしたから、薬に検査と毎月の医療費はかなりの額でした。そこへ来て、更にターミナルケアのための高度な治療が始まり、最終的には月に「〇十万」の単位で家計から支払いが発生していました。それでも夫もわたしも、ベルが少しでも共に長く生きられるならと運転資金を最大限に切り崩し治療に当たっていました。とは言っても、早晩限界は来てしまうもの。来年大学に支払う予定だった学費資金もいよいよ治療に当てることになりました。大学なんて行けなくなってもベルの命の方が私たちにとっては大切でした。

 

幸い、負債までは負うことはなく、ベルは天国へと旅立ってしまいましたが、我が家の家計は発足以来の非常に淋しい状況となってしまいました。でもまあ、身の丈以上の贅沢をしなければ、普通に幸せに暮らしていけると気持ちを切り替えて過ごしていた矢先にそれは起きました。

 

 

「ビットコインがいま高騰中と言うことで・・・」

 

 

そのフレーズを耳にした直後、なぜか咄嗟に「あのサイトにログインしなければ」と思いました。とっくに忘れてしまったURLやID、パスワードを過去のメールを辿り必死に思い出しログインすると、そこには信じられない光景がありました。
なんと、預け入れた金額以上の数字が並んでいるではありませんか。これなら来年の学費は楽に工面することができます。信じられずに一度ログアウトし、再度ログインし直してしまったほどです。

 

 

改めて経済ニュースをリサーチすると、世の中の情勢が変わり、コインの「買い」が進んだことによる効果なのだと判明しました。そして評論家によれば、しばらくはこの傾向(高騰)が続くだろうとのことでした。けれどわたしは直ぐに日本円に替え、銀行口座への振り込み手続きを取りました。そしてアカウントをクローズしました。これでようやく、過去の自分に「もう自分を責めなくていいよ」と言ってあげられる気がしました。

 

 

夫もリアルタイムでこの解約劇を見ていました。すべての手続きが終わった後、二人とも考えていたことは同じでした。

 

 

「ひょっとして、ベルがお金を取り戻してくれたんじゃないかな?」

 

 

そんなこと、常識で考えたらあり得ないに決まっています。でも、あの時、もし夫が「仔犬の育児放棄」のニュースに怒っていなかったら、わたしがビットコインの高騰について知ることは恐らくなかったと思うのです。

 

 

「やっぱりベル、絶対に近くをうろうろしているよね?」

「もしかしたら、ベルからの恩返しなのかな?」

 

 

近頃は、見えないベルの姿を感じる出来事があるたびに、私たちがあまりにも不甲斐ないからベル天国に行くに行けないのかもねえ・・などと夫と笑い合える時間が少しずつ増えてきています。

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

当事者と言う専門家の力を感じた危機介入アプローチ

f:id:miyuki_sato:20201219225918j:plain

今回のお正月は実家へは帰省せず、隣町に暮らす妹が我が家に泊まって過ごすことになりました。

 

電話での打ち合わせ中、妹がぽつりとこんな言葉を漏らしました。

 

 

「お姉ちゃんが思っていたよりしっかりして元気そうで本当に良かった・・。」

 

 

10月、ベルの病気のことが分かった直後、わたしが陥っていた酷いパニック状態をつぶさに見てきた妹は、ベルを失った後にわたしが精神的にどうにかなってしまうのではないかと、心配でたまらなかったそうです。

 

妹ではないですが、この件に関しては、実はわたし自身が一番そう思っていたりします。精神的にコントロールが利かず、妙な衝動を起こしてしまうのではないか?我ながら、そんな風に危惧していました。実際問題、一番キツかった時期は、(今だから言いますが)死に場所を見定めようとして、探し歩いていたこともありました。

 

でも、そうはならなかった。

 

何故だろう?と考えた時に、適切な”危機介入アプローチ”を受け取ることができたからではないかと思っています。

 

 

感情的に混乱状態にあるクライエントに対し、その社会的機能の回復に焦点を当てた対応を行うことをソーシャルワーク用語で”危機介入アプローチ”と呼びますが、わたしの場合、この”危機介入アプローチ”を複数の人が絶妙なタイミングと采配で行ってくれていたのです。冷静になって振り返れるようになった今、なんと多くの方たちの優しさ、思いやりに守ってもらったのだろうと感謝がこみ上げてきます。

 

 

わたしにとり、最初の大きな転機となったのは、今夜にも大切な愛犬を天へ見送ろうとしている同じ大学で学ぶ友人からのメッセージでした。 彼女はがん告知を受けて失意のどん底に居るわたしに対し、「今日も、明日も、来週も、まだまだベルちゃんと一緒に出来ること沢山ありますから!」と伝えてきました。この時、自分のことで精いっぱいで視野が狭くなっていた自分がハっと我に返ることができたのです。

 

 

同じ台詞を、もし、元気で健康な犬を飼っている他の誰かから言われていたとしたら、わたしはその時自分を取り戻すことができていたかどうか・・・。きっと無理だったことでしょう。それは彼女だったから、彼女にしか伝えられない言葉だったのではないかと思います。

 

このやり取りからしばらく後、彼女の愛犬は虹の橋を渡りました。彼女とは11月に入ってから初めて対面でお目にかかることができました。その時に共有した時間も忘れられません。それからすぐ、愛犬のターミナルケアで役に立った形見のフードや栄養剤等一式を我が家に送ってくれました。そのおかげでベルは食べる力を取り戻し、1か月長く生きられたのだと思っています。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com


以前、こちら↑の記事でも書きましたが、死を受け入れてゆくプロセスの中の”否認・孤立の段階”の際に、「いつでも必要な時はそばに居るよ」と伝え続けてくれた友人たちの存在は、ギリギリのところで、わたしの意識をこの世につなぎとめてくれていたと思います。
わたしを催しに誘っても断られる可能性が高いのを知りながらも、”もし、大丈夫そうなら一緒にどうかな?”と声をかけてくれた方。美味しい果物を届けてくれた方。未来の会食の約束を相談してくれた方。折に触れてメッセージを届けてくれた方。後悔しないように、とことんやったらいい!と背中を押してくれた方。この時期、完全なる孤独に陥らずに済んだおかげで、わたしはどうにか次の受容のプロセスへと歩みを進められたのだと思います。

 

そして、受容の段階に進めた頃、ある程度物事を客観的に見られる土壌が整ってきたわたしに、「自分の経験」を心理学の「学び」に昇華するよう促すようなサポートをしてくれた方がいました。そんなこんなで、わたしはそれまで予定していた大学卒業後の進路をガラリと転換するほどの決断をするのですが、そのお話はまた別の機会に。

 

 

いざベルが亡くなった後も、複数の人を通してのきめ細やなグリーフ(悲嘆)ケアは続きます。顔を見に来てくれた方。数人の方からは本が届きました。そして、お菓子や香りの品、お花や果物を届けていただきました。想いを届けてくださった方と、慌ただしくお礼のやり取りをしている間に、気づけばお葬式から2週間が過ぎていました。

 

f:id:miyuki_sato:20201219230339j:plain


 

 

 

改めて今回、わたしの身に余りあるサポートを送ってくださった方々、おひとり、おひとりのお顔を振り返ってみた時に、どの方も大切な家族やペットを亡くした喪失経験があったり、自身が大きな病を患う経験をしていたり、医療の現場に詳しかったりするなど、悲嘆の涙で咲かせた大輪の花を胸にひっそりと湛えている方・・・言うなれば、トクベツな職業や偉い資格などとは無縁の、”当事者と言う専門家”の方がほとんどであったことに気づいたのでした。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

この記事の中でわたしは、

 

いま、「その時必要な言葉を持っている人」
からのサポートを受けとると言う
ありがたさだったり、
不可思議さの中で過ごしており、
絶望で倒れ込みそうになる瞬間は多々あるけれど、
何か目には見えない”縁環”に
守ってもらえていることも感じるのです。

 

 

と書いたけれど、「言葉を持っている」とは、すなわち「経験」を持っていることであり、なおかつそれが「必要な言葉」で在り得るには、「経験」だけでは不十分で、苦しんでいる目の前の人が発している”小さな声”を聴く「耳」を持っていなければいけないのだと言うことを、わたしは彼らから学ばせてもらったのでした。

 

 

そして、徐々に気持ちが落ち着いて周囲が見えるようになった段階でようやく気づけたのは、「無言のサポート」の存在でした。痛々しくて言葉もかけられず、迷いの中で近づくことさえできなかった人が、確かにそこで祈ってくれていた・・・と言う確信です。ひょっとしたら「何かをする」よりも「ただ黙っている」ことの方が時に困難で難しいのかも知れません。その状態に誠心誠意で留まっていてくださった方の存在に気づいた時、わたしの心の中の柔らかく温かい場所が「お帰りなさい」と息を吹き返した心地がしました。心配をかけてしまったこと、本当にごめんなさい。そしてありがとうございます。

 

 

 

今回の経験は、ベルが命がけで残してくれた一生の宝物だと思っています。
この場を借りて、支えてくださった多くの方に、心からお礼を申し上げたいと思います。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

写真と俳句のサイトはじめました

f:id:miyuki_sato:20201217100832j:plain

 

少し前から俳句をはじめたことを書きました。

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

俳句アプリの「ニシキゴイ」で
さとう美雨と言う俳名で
投稿をはじめたのですが、
俳句について知れば知るほど
その面白さにハマり、
言葉を通して広がってゆく
自分の視点からたくさんの
気づきを得ました。

 

 

次第に、いつか写真と俳句で
わたしの感覚で綴った
歳時記を創ってみたい・・・
そう思うようになりました。

 

 

そのはじめの一歩として、
写真と俳句の作品置き場としての
サイトをスタートしました。

 

これから少しずつ、
作品を増やしてゆけたらなと思っています。

 

f:id:miyuki_sato:20201217100804j:plain

 

miusato.com

 

 

その昔、
枯れ落ちた花を拾い
墓をつくり
大切に供養・埋葬したのは
僧侶たちが
はじまりだったといいます。
(花供養)

あなたにも、
「今」と言う瞬間から離れ、
枯れ落ちてなお
大切にしたい想いが
あるのではないでしょうか?

 

ここはそんな
「花拾い」の欠片たちを
そっと置いておく場所。

 

忙しい毎日のひととき、
移ろう四季の美しさに
写真と俳句を通して
そっと五感を澄ませてみませんか?

 

句会や吟行など、
ご一緒できる方も募集中です^^

 

 (花拾いの庭”ご案内”より引用)

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

動物の死を看取ったことではじめて自覚できたこと

f:id:miyuki_sato:20201215091308j:plain

 

「わたしは自分が思っている以上に
”死”と言うものを絶対的に拒絶、否認し、
怯え、恐れているのかも知れない」

 

 

これが今回ベルを看取ったことで
わたしが直面・自覚させられた
一番の大きな気づきでした。


 

 ベルの死以前にも、
わたしは祖母の死を看取った経験があります。
けれど、人間の最期と、動物の最期、
残された者たちが味わう”衝撃”の
決定的な違いをもたらすのは、
その瞬間を迎える環境にあるように思いました。

 

 

 厚生労働省の人口動態統計によれば、
2016年の段階で、病院または
施設で死亡する人の割合は全体の8割。
反対に、自宅で死亡する人の割合は
3割にも満たないと言われています。
 

f:id:miyuki_sato:20201215090856j:plain

 

 

祖母が逝った日のことを振り返ってみると、
朝、「危篤の状態です。」と、
入院をしていた病院からの電話を受け、
家族で駆け付けたところ、
間もなく祖母は息を引き取ったのでした。
病室には私たち家族の他、
医師と看護師が控えて居り、
何か急な変化が起きた際には
すぐに処置に入れる体勢をとってくれていました。



これは何もわたしの家族だけが
経験したことではなく、
我が国の大部分の人々が
同様の状況であることを
上のグラフは示していると言えるでしょう。

 

翻って、動物の死の看取りは本当に過酷でした。

 

動物の死を看取ってみて、
改めて医療専門家が
その場に寄り添ってくれていることが
どれだけ心強く、
「死」と言う瞬間に対して
ある種の”緩衝”となってくれていたのかを
思い知ったのです。

 

 

先ず、がんの告知を受け、
食べ物が口から摂取できなくなったからと言って、
胃瘻の為に入院する・・
などと言うことはありません。
胃瘻の処置はしてもらえても、
自宅でチューブから食事を
流し込むのは飼い主の役目です。

 

ベルは副腎が肥大し、
結果腹水が溜まってしまったのですが、
人間の場合であれば、
すぐに注射器で腹水を抜く処置をするところを、
「かえってベルの身体の負担になるから」と
先生に言われ、膨らんでゆくお腹と
苦しそうなベルをただただ見ていることしか
できませんでした。

 

 

人間の場合、病院で見舞っている以外の時間は、
家族は専門家に任せることができ、
ひとまず通常の生活を送る時間を確保できます。
でも、動物の場合、それは不可能です。
24時間、動物の苦痛から目を反らすことはできず、
長い夜が明け、動物病院にサポートを求める
電話をすることだけが命綱かのように過ごす日々。

 

 

わたしは日増しに弱り、
死へと一心不乱に向かってゆくベルを
傍で見ているだけで
頭がおかしくなりそうでした。
今だから正直に告白しますが、
「この場から逃げ出したい」と
何度も思いました。

 

 

と同時に、「死」と言うものに対し、
こんなにも拒絶反応を示している自分にも
驚き圧倒されていました。

 

 

ある時、ベルのことで大変お世話になった
同じ大学の心理学部で学ぶ友人が、
こんなことを言っていました。

 

 

核家族化しすぎたことにより、
死が身近でなくなっている故に
死に対する我々の免疫がなさ過ぎて、
動物としての定めを
突きつけられると衝撃が
大きいのかもしれないな・・・

 

 

ああ、これだ。
まさに、これだ。
そう思いました。

 

 

先ほどの厚生労働省の調査の話に戻りますが、
1951年ごろまでは、今とは真逆で、
自宅で亡くなる方が全体の8割だったそうです。
恐らく当時の方が人間の「死」を
「生」と連続しているものだと
受容できる力があったのではないか?
そう感じてしまうのは、
思い過ごしでしょうか?

 

 

「死」を受け止め、受け入れる力が、
こんなにも脆弱な自分であることを自覚した今、
少しずつでいいから、
現在の「人生地図」をより拡大し、
「生きること」への向き合い方の変容が
もう一段階求められる年齢になったのだなと
感じています。

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき