わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

相棒元日スペシャル2021に見る悲嘆ー表現か?行動か?ー

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元日夜にオンエアされた
『相棒元日スペシャル2021』ですが、
あなたはご覧になられましたか?

 

所謂”刑事モノ”と呼ばれている類の中で
わたしが唯一見ているご長寿番組なのですが、
毎回その脚本の精巧さには唸るばかりです。

 

さて、今回扱っていたテーマ
”少年犯罪”も、
実にデリケートでいて、
観る人に思索を強いる内容でした。

 

 

あらすじの詳細は割愛しますが、
ご覧になっていない方は、
こちらをどうぞ!

↓  ↓  ↓

 

news.ameba.jp

 

 

 

わたしが今回のあらすじで注目したのは、
”感情をどう扱うか”と言う部分でした。

 

 

少年犯罪によって、
大切な人を殺され、喪ってしまった人々が、
責任能力がない未成年だからと言う理由で
罪を裁かれなかった犯人の少年たちを恨み、
数年後に協力して復讐殺人に走る・・・
と言うストーリーなのですが、
彼らはみな、同様の辛い経験を持ち、
対話することで立ち直ろうとするNPO団体、
ピアグループ(当事者グループ)で
出会っています。


そのNPO法人の責任者役の方が
以下のようなことをドラマの中で
主人公である刑事たちに語りかけていました。

 

 

大切な人を殺された遺族は
ときに犯人に対して殺意や復讐心を抱きます。
そのことについては当たり前だし、
その気持ちを話すことには、
何の問題もないのです。
けれど〇〇さん(復讐に走った遺族の中核人物)
の場合は違っていました。
具体的にどのようにして犯人に
復讐するのかの方法を話していたのです。
他のメンバーの方で不快に思う方もいらしたので
それとなく諭したところ退会されました。

 

 

ここでわたしが疑問に思ったのは、


同じ辛い経験を負っていたとしても、
復讐に走った人たちと、
そうしなかった人たちとでは、
いったい何が違ったんだろう?

と言うことでした。

 

 

あくまでもドラマ(フィクション)なので
現実的な考察をする上で
不十分であることは
重々承知なのですが、
大切な人を喪ったことによる
悲嘆感情のエネルギーを
「表現」する方に向けたのか?
それとも
「行動」する方に向けたのか?
の違いだったのではないかなあ?と
感じたのです。

 

 

「犯人をよっぽど殺してやりたいと思いました」
と、グループカウンセリングで自己開示することは、
感情の「表現」にあたります。
「殺したい」のは本当の気持ちだし、
嘘ではないでしょう。


一方、

 

「犯人を、~~に呼び出して、
~~と言う凶器を使って、~~のタイミングで
~~して殺してやります。」
これは具体・計画の発表であって、
その先にあるのは、「行動」です。
そこには「感情」の「表現」はありません。

 

 

そう考えると、
”感情”と言うエネルギーが起こった時、
「~~と言う感情を持っている自分がいる。」
先ずはそれをそのまま声や言葉にして
「表現してみようか?」
と言う流れ作りを意識しておくのは、
とても大切で、最終的により望む「行動」へと
自分を運んでくれるのではないか?
そんな風に思ったのです。

 

あまりにも強い感情が湧いた時って
それをどう扱って良いものか、
本当に難しいものです。
わたしもこれまでに
何度丁寧な「表現」を端折ってしまい、
失敗していることか・・・^^;

 

 

「感じる」ことに善も悪もないけれど、
感情が起きた後、ひとっ飛びに
「行動しよう」とするよりも、
先ず、何らかの「表現」を選べる
自分でありたいものです。

 

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき