わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

当事者と言う専門家の力を感じた危機介入アプローチ

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今回のお正月は実家へは帰省せず、隣町に暮らす妹が我が家に泊まって過ごすことになりました。

 

電話での打ち合わせ中、妹がぽつりとこんな言葉を漏らしました。

 

 

「お姉ちゃんが思っていたよりしっかりして元気そうで本当に良かった・・。」

 

 

10月、ベルの病気のことが分かった直後、わたしが陥っていた酷いパニック状態をつぶさに見てきた妹は、ベルを失った後にわたしが精神的にどうにかなってしまうのではないかと、心配でたまらなかったそうです。

 

妹ではないですが、この件に関しては、実はわたし自身が一番そう思っていたりします。精神的にコントロールが利かず、妙な衝動を起こしてしまうのではないか?我ながら、そんな風に危惧していました。実際問題、一番キツかった時期は、(今だから言いますが)死に場所を見定めようとして、探し歩いていたこともありました。

 

でも、そうはならなかった。

 

何故だろう?と考えた時に、適切な”危機介入アプローチ”を受け取ることができたからではないかと思っています。

 

 

感情的に混乱状態にあるクライエントに対し、その社会的機能の回復に焦点を当てた対応を行うことをソーシャルワーク用語で”危機介入アプローチ”と呼びますが、わたしの場合、この”危機介入アプローチ”を複数の人が絶妙なタイミングと采配で行ってくれていたのです。冷静になって振り返れるようになった今、なんと多くの方たちの優しさ、思いやりに守ってもらったのだろうと感謝がこみ上げてきます。

 

 

わたしにとり、最初の大きな転機となったのは、今夜にも大切な愛犬を天へ見送ろうとしている同じ大学で学ぶ友人からのメッセージでした。 彼女はがん告知を受けて失意のどん底に居るわたしに対し、「今日も、明日も、来週も、まだまだベルちゃんと一緒に出来ること沢山ありますから!」と伝えてきました。この時、自分のことで精いっぱいで視野が狭くなっていた自分がハっと我に返ることができたのです。

 

 

同じ台詞を、もし、元気で健康な犬を飼っている他の誰かから言われていたとしたら、わたしはその時自分を取り戻すことができていたかどうか・・・。きっと無理だったことでしょう。それは彼女だったから、彼女にしか伝えられない言葉だったのではないかと思います。

 

このやり取りからしばらく後、彼女の愛犬は虹の橋を渡りました。彼女とは11月に入ってから初めて対面でお目にかかることができました。その時に共有した時間も忘れられません。それからすぐ、愛犬のターミナルケアで役に立った形見のフードや栄養剤等一式を我が家に送ってくれました。そのおかげでベルは食べる力を取り戻し、1か月長く生きられたのだと思っています。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com


以前、こちら↑の記事でも書きましたが、死を受け入れてゆくプロセスの中の”否認・孤立の段階”の際に、「いつでも必要な時はそばに居るよ」と伝え続けてくれた友人たちの存在は、ギリギリのところで、わたしの意識をこの世につなぎとめてくれていたと思います。
わたしを催しに誘っても断られる可能性が高いのを知りながらも、”もし、大丈夫そうなら一緒にどうかな?”と声をかけてくれた方。美味しい果物を届けてくれた方。未来の会食の約束を相談してくれた方。折に触れてメッセージを届けてくれた方。後悔しないように、とことんやったらいい!と背中を押してくれた方。この時期、完全なる孤独に陥らずに済んだおかげで、わたしはどうにか次の受容のプロセスへと歩みを進められたのだと思います。

 

そして、受容の段階に進めた頃、ある程度物事を客観的に見られる土壌が整ってきたわたしに、「自分の経験」を心理学の「学び」に昇華するよう促すようなサポートをしてくれた方がいました。そんなこんなで、わたしはそれまで予定していた大学卒業後の進路をガラリと転換するほどの決断をするのですが、そのお話はまた別の機会に。

 

 

いざベルが亡くなった後も、複数の人を通してのきめ細やなグリーフ(悲嘆)ケアは続きます。顔を見に来てくれた方。数人の方からは本が届きました。そして、お菓子や香りの品、お花や果物を届けていただきました。想いを届けてくださった方と、慌ただしくお礼のやり取りをしている間に、気づけばお葬式から2週間が過ぎていました。

 

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改めて今回、わたしの身に余りあるサポートを送ってくださった方々、おひとり、おひとりのお顔を振り返ってみた時に、どの方も大切な家族やペットを亡くした喪失経験があったり、自身が大きな病を患う経験をしていたり、医療の現場に詳しかったりするなど、悲嘆の涙で咲かせた大輪の花を胸にひっそりと湛えている方・・・言うなれば、トクベツな職業や偉い資格などとは無縁の、”当事者と言う専門家”の方がほとんどであったことに気づいたのでした。

 

 

hanahiroinoniwa.hatenablog.com

 

 

この記事の中でわたしは、

 

いま、「その時必要な言葉を持っている人」
からのサポートを受けとると言う
ありがたさだったり、
不可思議さの中で過ごしており、
絶望で倒れ込みそうになる瞬間は多々あるけれど、
何か目には見えない”縁環”に
守ってもらえていることも感じるのです。

 

 

と書いたけれど、「言葉を持っている」とは、すなわち「経験」を持っていることであり、なおかつそれが「必要な言葉」で在り得るには、「経験」だけでは不十分で、苦しんでいる目の前の人が発している”小さな声”を聴く「耳」を持っていなければいけないのだと言うことを、わたしは彼らから学ばせてもらったのでした。

 

 

そして、徐々に気持ちが落ち着いて周囲が見えるようになった段階でようやく気づけたのは、「無言のサポート」の存在でした。痛々しくて言葉もかけられず、迷いの中で近づくことさえできなかった人が、確かにそこで祈ってくれていた・・・と言う確信です。ひょっとしたら「何かをする」よりも「ただ黙っている」ことの方が時に困難で難しいのかも知れません。その状態に誠心誠意で留まっていてくださった方の存在に気づいた時、わたしの心の中の柔らかく温かい場所が「お帰りなさい」と息を吹き返した心地がしました。心配をかけてしまったこと、本当にごめんなさい。そしてありがとうございます。

 

 

 

今回の経験は、ベルが命がけで残してくれた一生の宝物だと思っています。
この場を借りて、支えてくださった多くの方に、心からお礼を申し上げたいと思います。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき