先日の火曜日、私が企画担当をしていたギャラリーでの展示が終わりました。昨日であらかた会計の締めも終わり、お預りしていた作品の配送にも大きな問題がなければ、私が主体となっていた今年のお仕事はコンプリートということになります。
本当に目まぐるしかった。今もまだ若干ランナーズハイ状態って言うんでしょうか?交感神経の方が優位で、頭だけがトラブル対応仕様というか、朝も早くに目が覚めてしまっています。^^;
実はこの企画展が終わったら、ギャラリーのお仕事を辞めさせていただくことになっていました。一番の理由は父の介護と実家で父を介護している母と妹の負担がいよいよ危うくなってきたためです。自分自身のクライアントワークであれば、急な日程の変更やキャンセルなども、わたし自身の責任の元に行えますが、対外的な仕事であるギャラリーはそうはいきません。ご迷惑をかける人の数がぜんぜん違う。身を引くのであれば、来年の担当が決まる前、一段落した今しかないだろうと思いました。
ギャラリーからは、「いつでもまた戻ってきていいから」と、急な申し出にも関わらず、ありがたい言葉をいただき、かえって申し訳ない限りです。
この1年、アートの現場で働いたことで、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。その中でも、これからもう一度向き合わなくてはいけないなあ・・と思っているのは、「私の写真」とは?という、言ってしまえば当たり前のことのようでもあり、ずっとそこに在ったのに無視してきたことのようでもあり、え?今更?という問いかけでもあります。
この「私の写真」とは?
という命題。はっきりと自覚したのは、春の終わり、ごろだったかな。いや、潜在的には一昨年のふたり展が終わった後くらいから、じわじわと・・・だったかな。
それまでも、長いこと「私の写真」を探していて、ふたり展で一旦「これ」という形?スタイルのようなものを掴めたような気持ちにはなったんだけど・・。そこからがかえってしんどかったように思います。
大好きだった花も、樹も、緑も、空も、雲も、「こんな風が好き」という姿・形で、撮れるようになったし、満足もしてた。でも、撮り終えた写真を見ながら、いつも思ってた。
「この写真、私じゃなくても撮れるよね。」
「作者名に私以外の人の名前が貼ってあっても、誰も気づかないよね?」
って。
私にも「こんな風に撮りたいな」って憧れを推進力に頑張っていた時期があって、その理想の「こんな風」が撮れた時はひたすら嬉しくて、もっともっと自分の「こんな風」を追いかけたくなった。
その内にその「こんな風」は、私だけの「こんな風」じゃなくて、私以外の誰かに「こんな風に撮りたいんです!」と言われる「こんな風」になっていって、その「こんな風」をレッスンで伝えたりするようにもなったりして。いつの間にか、自分の憧れていた「こんな風」が、誰かの「こんな風」になって、作品を撮るときにも、その誰かの「こんな風」に応えていくことで、「私の写真」が認知されて・・・、そこからはみ出すことが、誰に禁じられたわけでもないのに、どこかいけないことのような気がしてきて・・・。
大好きなコスモスの季節が来てすぐのこと。いつものように昭和記念公園に行きました。これまで毎年、夢中になって撮影していたのに、今年、何故だかぜんぜん楽しくなかった。ちょうど繁忙期にせかせか行ったせいかな?って思ったのだけど、先日、仕事が終わって、身も心もほっとした自分で同じ場所に立って撮影してみたけれど・・・、やっぱり、ぜんぜん楽しくなかった。ときめかなかった。
これまで通り、思い描いていた「こんな風」は、撮れたのだけど。なんか違った。もうそれ、撮りたくないの!って自分の心のレンズが首を背けてた。それでようやく、もう一度、もう一度、これまでのものを真っさらにしてでも、「自分の写真」に今しっかり向き合わないとって、腹が座った。
生きて、健康で、写真を撮っていられるのって、まあ言うてもあと20年くらいじゃないかな?あと20年、どれだけ「私の写真」を模索出来るのか。案外残されてた時間って少ないから、無駄になんてできない。
写真をはじめてから、今年で約20年。いろんなことがあって、ここまで来たのだけれど、ようやく「私の写真」を模索できる胆力をもって、スタート地点に立てたのかも知れません。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
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写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^
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