わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

セカンダリー・ゲイン(二次的利得)という考え方

 

 

 もう随分前の話ですが、某心理メソッドの団体に所属されているカウンセラーさんの単発講座を受けた際に、「セカンダリー・ゲイン(二次的利得)」というワードを耳にしたことがあります。

 

 

 「セカンダリー・ゲイン(二次的利得)」とは、

 

 

悩みを抱えている本人にとっては一見辛い症状(主訴)が、実は無意識レベルでは、何らかの本人の利得に繋がっている。

 

 

という考え方です。

 

 

分かりやすくするため、簡単な例をあげると、

 

何か大きなイベントの前になると、必ず体調を崩してしまうことで悩んでいる人がいたとします。顕在意識では元気にイベントに参加できることを望んでいるのですが、無意識レベルでは、体調を崩すことで第三者から心配してもらえることや、優しくしてもらえる等の二次的な利得を得たいがために、本質的には症状の改善を望んではいない・・・

 

といったことを意味します。

 

 

 実際に、わたし自身のセカンダリー・ゲインを見つけるワークなどもし、「なるほどな~」と思うことも多々ありましたが、わたしの気持ちは「すっきりした!」というよりはむしろ、ワーク前よりも鬱々としてしまったのでした。当時はこの”鬱々感”を説明する言葉を持ち合わせていなかったのですが、今になって思うと恐らく、

 

 

「悩んでいる、改善したい・・・なんて言ってるけど、本当は~~~(二次的利得)を得たいがために〇〇をし続けてるんだよ!分からないとでも思ったか!おまえの魂胆はバレバレなんだよ!だからお前の悩みはいつまで経っても改善しないどころか、それを阻んでいるのはお前自身だってことだよ!」

 

と、まるでカウンセラーという刑事に罪を暴かれた犯人が、崖っぷちに追い詰められたかのような心地になっていたのだと思います。

 

 

 

 さて、この時の傷ですが、昨年から学んでいるIFS(内的家族システム療法)によって、似て非なるベクトルから癒され、解決されることとなりました。

 

 

 IFS(内的家族システム療法)では、”私”というシステムは、複数のパーツ・副人格(サブパーソナリテイ=内的家族)の集合体であることを前提としてセラピーを行います。そしてそれらのパーツたちは、困難な状況を乗り切るために、ひとつひとつがそれぞれの役割と責任を負って存在していると考えます。パーツたちの中には、時に不気味に歪んでしまっていたり、不信感に凝り固まってしまった者もいますが、彼らに共通しているのは”私”と言うシステムの安心・安全を守るために、みな全力で必死だということなのです。

 

 

 

 先ほどのイベントの前になると体調を崩してしまうという悩みですが、これもひとつのパーツが担っている役割だと考えてみましょう。幼少期のクライエントにとって、養育者から与えられるべき愛着を得られる唯一の方法が風邪を引いたり、体調を崩したりすることだったとしたらどうでしょうか?そのパーツは、システムの発達や、安心・安全を守るために必死にその責任を果たしているのだとしたら?犯人どころか、その功績を労い、讃えられてもおかしくないほどではないでしょうか?

 

 

 その功労者たちを、「わたしがこんな風なのは、ぜんぶお前のせいだ!」と責め続けた場合、パーツは当然不愉快になりますし、「こんなに頑張ったのに分かってくれないのか!」と”私”というシステムへの怒りと絶望でいっぱいになってしまうことでしょう。クライエントを解離構造的(複数のパーツの集合体として応対していく)に捉えられていない・・・これがセッションを受けても、受けても、癒されるどころか、こじれてしまう本当の理由です。

 

 

 

 

 

 

☆きょうも最後までお読みくださり
ありがとうございました^^

 

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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