先月から発足したオンライン句会(花拾い句会)ですが、このひと月で参加者様が増え(なんと海外からも!)、人数は先月の倍となりました。
明日25日23時が3月弥生句会の締め切りで、26日から31日まで選句期間に入りますが、総句数が25句を超えてくると、句会の場が一気に華やかになりますね^^。今回もどんな句に出逢えるのか、本当に楽しみです。投句がまだお済でない方も、1句からでもご参加いただけますので、お待ちしております。(あ、メンバー様も募集中です♪)
さて、本日のタイトル、「”〇〇と言うもの論”」ですが、1年ちょっと前、地元のアート好きなお仲間同士、気軽なノリで俳句を始めてから、世の中にはどんな句会の場があるのだろう?とネット等で検索をしたことがありました。
そこで分かったのは、「句会」というものを主宰しているのは、俳句歴〇年、〇〇俳句受賞等のキャリアを持った「先生」と呼ばれている方が殆どである、ということでした。そして、皆さん一様に仰っているのが、
「俳句の上達はプロに学ぶこと」
「俳句の上達には句会や結社に所属するのが近道」
「初学者同士の会は、自己流になりがちなのでお薦めしない」
というものです。ちなみにこれ、(ある段階に至った方にとっては)すべてその通りだなあと思っています。
で、わたしは?と言うと、このタブー、見事に全部当てハマってるんですね。(笑)
わたし自身俳句のプロじゃないし、結社じゃないし、初学者なので。
ではなぜ、敢えてそこを超えていくのか?と言うと、写真を学んできた時の経験があるからかも知れません。
今から10数年前、もともと撮ることは好きだったし、得意だったわたしは、「起業」というスタイルを選ぼうと考えた時に、「だったら写真かなあ?」ぐらいのノリでこの世界に入りました。折しも世の中は「好きを仕事に」なんてキャッチフレーズが大流行しておりまして、それも背中を押したのだと思います。
自分にとって、ただ「好き」だったことを、「仕事」にしたとき、わたしが真っ先に襲われたのは、「こんな自己流で写真をやってきた自分がプロとしてお金をもらっていいの?」という不安と後ろめたさでした。プロとしてやっていく許可を誰かに貰いたくなったのですね。
そこからはいろいろな写真教室やら師匠の元で学びをしました。でも、ある時、学べば学ぶほど、写真が嫌いになっていく自分がそこに居ました。あんなに好きだった写真なのに、撮ることが苦痛になったのです。やっぱり師匠にもつかず、スタジオでアシスタントの下積み経験もない自己流のカメラマンなんて通用しないんだよね、と自分の不甲斐なさに落ち込みました。
そんな時に、元は美容師だったという男性カメラマンと出会いました。彼のプロパガンダの筆頭は、「世界中の人に写真の素晴らしさを伝えたい!」でした。その出逢いがわたしを変えました。彼は口を開けばこう言っていました。
「先ずはカメラマンが人生を楽しまないと。写真を楽しいと思えれば、もっと目の前の人や景色を綺麗に撮ってあげたい、もっと上手になりたいって勝手にそうなるような行動をしていくから。だから僕の仕事はみんなに写真って楽しいー!って思ってもらうこと。」
その時から、何かが吹っ切れたように楽しく撮れるようになったし、学びたいと思う知識を勝手に調べたり、それを知ってそうな人(先生)に会いに行ったりするようになりました。
俳句もわたしは同じような気がするんです。先ほどの写真の部分を俳句に変えてみると・・・
「先ずは俳句を詠む人が人生を楽しまないと。俳句を楽しいと思えれば、もっと目の前の人や景色を綺麗に詠んであげたい、もっと上手になりたいって勝手にそうなるような行動をしていくから。」
評価とか手直しとか、それをしてくださる方が世の中には大勢いるのだから、わたしはそこはお任せしよう。先ずは言葉や季語を楽しむこと。俳句というものを通して知る、自分以外の人の視点を面白がったり、四季を楽しんだり、仲間を思いやる場を作ろう。そうしたら、勝手にもっと上手になりたいと思た人は、外の広い世界に羽ばたいていって、学んでいくはず。
”〇〇と言うもの論”を、外にではなく、自分自身の中に見つけていけるような、そんな場所になったらいいな・・「花拾い句会」に関しては、そう思っています。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
ただいま、夏雲システムを使った
オンライン俳句
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写真を眺めてほっと一息^^