先週の木曜(17日)、銀座のギャラリー枝香庵にて開催された、尾藤正樹さん、正木友香さん父娘によるふたり展にお邪魔してきました。(ちなみに友香さんとは5月12日から地元のギャラリーにて展示をご一緒させていただくことになっています。)
訪問の目的ですが、アート鑑賞はもちろん、実は前もって友香さんの方から、「父がギャラリーでライブドローイングを行うので、その様子を撮影してもらえないだろうか?」との依頼を受けてのことでした。
このお話を頂いた時、「すごくいいと思う!ぜひ撮影させて!」と、わたしは二つ返事で喜んでお引き受けしました。その時、心の片隅には、やはり自分の父のことがありました。
↓友香さんのブログ記事です。
昨年の1月、それまで元気だった父が突然倒れ、脊髄骨折から半身不随、自力歩行が不可能となり、それが末期の前立腺癌の転移によるものだと分かって以来、わたしはずっと後悔していることがありました。それは、「なぜもっと父が元気なうちに、家族と一緒に居る時の父の姿を撮ってあげなかったんだろう」というものでした。
とは言え、もともと長いこと折り合いが悪かった父の写真を撮ろうなどとは、彼が元気だった時には到底思えなかったのも事実です。父の命の限りが見えてきてやっと、機能不全だった私たち家族は何かに導かれるように寛解へと向かいはじめたのですから。
そんな背景もあり、被写体であるお父様ご本人に・・と言うよりは、娘である友香さんに2人展の証を残せたら・・と密かに思っておりました。
ギャラリーに入って、先ずは作品を一回り。大きな作品は尾藤さん、小ぶりでカラフルなフレームに収まっているのは友香さんの作品です。
お二人は関東・四国と離れて暮らしており、普段から頻繁にお互いの作品を鑑賞し合っているわけではないのに、色使いや筆跡の中に、双方の気配が感じられることが、なんだか不思議でもあり、一方で自然なことのようにも思われました。ただ、「この不思議であり、自然なこと」は、お父様を撮影した際に、よりリアルとなって私に迫ってきました。
尾藤さんを撮影しながら、「あれ?この空気感、前にもあった!」そう思って記憶をたどると、思い出しました。昨年の12月に友香さんのライブドローイングを撮影した時の、熱量と場の空気感にとてもよく似ているのです。
姿カタチはまるで違うのに、途中から二人のイメージが重なったり、また離れたりして、パラパラと絶え間なく切り替わるため、わたしの頭の中は少々混乱してきました。”アートの遺伝子”なんてものがもし存在するのだとしたら、それらのイオン同士がぶつかって発火するのを、ひたすら見届けながら撮影している心地でした。
自分が撮影しながら感じていることが何であるのかを確かめたくなり、最後はおふたり一緒に作品を描くコラボをお願いしました。ファインダーを覗きながら、そこには言葉を必要としない答えがありました。また、お互いがこの世界で交わした「まなざし」をいま残さなければという気持ちも撮れば撮るほど湧き上がってきました。
大人になってから、ましてや結婚して家を出てしまうと、父親と写真に写ることと言えば、冠婚葬祭や、たまの家族旅行、食事会等が殆どです。しかも、自分がカメラマン役だったりすると、写真に自分の姿が写っていないという場合も多いのではないでしょうか?かつて父親の顔をしていた人は、今では孫を見つめるおじいちゃんの顔になっている・・なんてこともあるでしょう。父が自分をどんな風に見つめてくれていたのかなど、知る術もありません。でも、そう言った形なきものこそが、今度は自分が人生の幕を下ろす番になった時に、何にも代え難い支えとなるような気がするのです。
今回、人生の大先輩を撮影させていただいて思ったのは、わたし自身の人生経験がまだ浅く、被写体である人が積み重ねてきた人生の深さとか器の大きさを受け止めきれず、写しきれなかった画があるということ。自分の今の限界と伸びしろを同時に体験することができました。尾藤正樹さん、正木友香さん、本当にありがとうございました。
会場にお手伝いに来てくださっていたあきえさんが撮ってくれた撮影中のわたし。
なんかカメラを持った小動物っぽい風貌がお気に入りです。^^
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
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