わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

ぴったり同じであることを希求し続ける病(愛着障害)

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 気づけば、誰と居ても、どこに居ても、どんなにその瞬間が楽しくてお腹を抱えて笑っていても、「寂しい」という気持ちが、心のど真ん中に居座っていることが当たり前になっていました。そして、自分でさえ、「自分は、恵まれた人間関係に在りながら、なぜ、こんなにも孤独を感じてしまうのだろう」と、苦しんできました。そして、その”苦しさ”そのものが、愛着障害に因るものだと知ったのは、本当にここ数年のことでした。

 

 愛着障害の人が時々、「自分には居場所がない」とか「わたしには友達居ないから」等とこぼすと、恐らくこの病を知らない、多くの人たちは、「え?ちゃんとあるよね?」とか、「わたし、あなたの友達だと思ってるんだけど?」と、怪訝に、悪くすると不愉快にさえ思うことでしょう。ですが、皮肉なことに、呟いた本人にとっては、呟いた先のあなたを心から信頼してのことである可能性が高いのです。「ずっとそう思って過ごしてきたの。やっとあなたになら本音を言える気がしたの。」ということ。だから、きっと、何度でもあなたに「同じこと」を話したと思います。でも、受け止める側にとっては、「友達」だと認められていない気がしますよね?当然です。そして、辛くなったあなたはそっとその人から離れた。仕方がないことだと思います。そしてその人は再び、「わたしには居場所がない」、「わたしには友達が居ない」という観念を強め深めていく。さらには、「いっそもう人との親密な付き合いはしたくない」となる場合も。これこそが、愛着障害が完治しずらい一番の理由です。

 

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 以前にも書きましたが、愛着障害と言うのは、生後から1歳半ぐらいまでの間の養育者との「協働調整」の不具合によって生じます。一生を通してその子が人とどう関わるかを決める、「第二の遺伝子」とも呼ばれています。

 

 

 養育者から適切な「協働調整」・「共感」を受け取り、自分の「心地よい」や「好き」を育んだ子どもは、自分の感覚、感情に信頼があり、大人になってからも、他人と自分が違うことをさほど怖がりません。そもそも「自分と相手は別の人格」が当たり前なこととして学習されていますので、「断わったり」、「異議を伝えたり」、「議論する」ことで、関係が深まっても、自分の大切な人間関係が壊れてしまうなどとは考えていません。

 

 

 愛着障害を持った人は違います。自分が「悲しい」と思った時に、彼らは「そうだね、悲しいよね」を貰ってきませんでした。「怖い、嫌だ」と感じていた時に、「そんなの平気でしょ?しっかりしなさい!」を貰っていたりする。その内に、相手に合わせることで、相手が喜ぶことに気づき、本来なら自分がしてもらうべき協働調整を、自分がする側になっていたりする。これがいわゆる”ヤングケアラー”と呼ばれる人たちにも見られる傾向ではないでしょうか?

 

 

 だからと言って、愛着障害を持った人たちは、あの日、あの時、得られなかった「共感」を諦めたわけではありません。むしろ、本来得られるはずだった幼児期の時以上に、他人との「一体感」への憧れは膨らんでいると言ってよいでしょう。そう、相手と自分との情動が「ぴったり同じ」であることを、心の底から、狂おしいほどに切望し続けてしまうのです。この状態が病的に発展したものが、いわゆる、「複雑性PTSD」や、「パーソナリテイ障害」と呼ばれている類になります。

 

 

 人と「ぴったり同じ」で在れないから、「居場所がない」し「友達がいない」という認知になるのです。自分だけがその場の話題についてゆけない状況等では、孤立感を深め、崩壊を味わうでしょう。また、たとえそれが有意義であっても、反対意見や異議申し立てなどされようものなら、”攻撃”されたと自律神経が判断して、途端に心のシャッターをピシャリと下ろしてしまう。本当は、「居場所だってある」し、あなたのことを「友達」だと思ってくれている人がたくさんいるのに、です。ですが、そう何度言おうとも、きっとにわかには受け入れられないことだろうと思います。

 

 

 では、どうしたらいいのでしょうか?わたしは先ず、「知識」として愛着障害を徹底的に(左脳で)理解しました。そして、「居場所がない」、「友達なんていない」、「自分なんて生きてる意味がないから消えたい」という思考が動き出した際には、「あ、これは、愛着障害の症状なのだ」と気づくようにしました。そして、その状態になっている時には、大きな決断を絶対にしないこと。それだけで、守られる人間関係は各段に増えます。そして、厳しいようですが、抱えてきたその「孤独感」がどんなに大暴れして居座っていようとも、もうそれとは、一生のお付き合いなのだと腹をくくってください。だって、「つながりや安心」は、人間が生きる上で、どうしたって求めてやまないものだから。ただそれを、あなたが思うのとは違ったカタチで得られる方法があるんだよ、それを知っていこう・・という気持ちだけは、忘れないでください。必ず、あなただけの心と感情が「折り合える」ポイントが見つかるはずですから。

 

 

 最後に、もしあなたの大切に思う誰かが、「自分には居場所なんてない」、「わたし、友達居ないから」と言ってきたとしたら、それは、あなたへの非難では決してないことを覚えていてください。彼、または彼女たちは、「ずっと、こんな風に生きてきたの。でも、あなたに出逢えて、やっと本当の気持ちが話せたよ。わたしに居場所をありがとう。友達になってくれて、ありがとう。」と言いたいだけかも知れません。「そんなことないよ!」よりも、「そっか、辛かったね」とそっと伝えてあげてください。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき

 

 

写真を眺めてほっと一息^^  

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