愛着トラウマを負った人が、知らず知らず陥ってしまう思考に、
「本来なら自分が得られて然るべきだったはずの愛情、愛されなかった不足分だけ愛されたなら、自分はこの生きづらさから解放されるし、癒されるはずだ」
というものがあります。
確かに、適切なタイミングで、ヘルシーな養育者による感情の協働調整を十分になされていたとしたら、現状のような苦しみを味わうことはなかったのかも知れません。
ですが、
不足している「愛情の量」を取り戻す=愛着トラウマが癒される
とは、残念ながら、ならないのです。
何故なら、幼児期の養育者による協働調整の本来の目的とは、「愛情」というグラスに注がれる「愛」の量を底上げしたり、割り増しすることではなく、「自分は自分のままでこの世界に居ても大丈夫だ」という、自分や社会への信頼感を形成することだからです。
愛着障害の方が、どれだけ恋人や友人、パートナーやから愛されていたとしても、その愛情が信じられなかったり、物足りないと感じたり、いつも見捨てられる不安を抱えてしまうのは、この自分や社会への信頼感に大きな穴が開いていて、注いでも注いでも、溜まっていかないためです。これを所謂「愛着の否認」といいます。
ですから、誰かに自分にとって「不足分の愛情」を注いでもらおうとすると、その人間関係は必ず破綻してしまいます。むしろ、相手が本気であなたを愛そうとすればするほど、あなたは「足りない、まだ、足りない、ぜんぜん、足りない!」と相手を追い込み、不安や愛情の枯渇感に苛まれていくでしょう。
そして、最終的には、「期待はずれな人だった!」と、それまで全幅の信頼を置いていた(と思い込んでいた)相手のことを、あっさりと、とことん、拒絶したりします。(愛着の否認・愛着の受動攻撃)
では、どうすればこのような悲しい結果にならずに、穏やかな人間関係を築いていけるようになるのでしょうか?
先ほども少し書きましたが、養育者から幼児期に注がれるヘルシーな愛情の一番の役割は感情の「協働調整」です。
簡単に言うと、自分の気持ちや、身体感覚の「快」・「不快」に対して、
「どうしたの?」
「気持ちが悪いの?」
「何か困っているの?」
「悲しいことがあったの?」
と、寄り添っていく能力です。(俗に自分を愛する能力とも言います。)ヘルシーな愛着を持った人達と言うのは、自分の感情や身体感覚に対しての共感能力がとても高く、またそれを感じることを悪いことではなく、むしろ当然の権利としています。
つまり、自分自身との愛着関係が出来ているのです。
これがあるだけで、愛着トラウマの人が、常日頃感じている「孤独感」が圧倒的に減ります。なぜなら、「自分には自分がついている」という信頼があるからです。
この能力は、誰か外から愛情を貰うだけでは、育ってはいきません。内側に育てていかなくてはいけないものだからです。そして、(近年)これは、やり直しができると証明されています。事実、私は、しかるべきアプローチのお陰で修復できました。時間と集中力が必要でしたけれどね。
こちらに書いた記事もヒントになるかも知れません。
hanahiroinoniwa.hatenablog.com
今年はもう難しいですが、来年は、愛着に関するアプローチの単発ワークショップなども開催してみたいと思っています。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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写真を眺めてほっと一息^^