先日参加した副島先生のワークショップのテーマは、『感情の言語化』だったわけですが、「感情を言語化する」と言うプロセスには、やはりちょっとした視点の変換が必要で、そのプロセスの”コツ”みたいなものは、大人から子どもに意図して伝えていくべきではないかな?と感じました。
hanahiroinoniwa.hatenablog.com
副島先生は、「感情の後ろには願いがある」といい、次のようなシンプルな基準を示されています。
・怒り・・・変わって!変われ!変わりたい!
・悲しみ・・・助けて!自分の不遇をわかって!
・恐怖・不安・・・早くとって!
・うれしい・・・ふやして!一緒に喜んで!
この話を聴いて浮かんできたのは、2年前に学んだNVC(共感的コミュニケーション)でした。NVCには感情のリストと、ニードのリストというものがあるのですが、それを子どもにも分かりやすいように、エッセンスをぐっと絞り込んでシンプルになっています。そして、実はNVCを知らない大人にとっても「ああ、そういうことだよね」と理解しやすい気がしました。
副島先生がおっしゃるには、例えば、子どもが、「お母さんなんて、大嫌い!死んじゃえ!」と怒りをぶつけてきたとして、「人に死んじゃえなんて言うんじゃありません!」と厳しく注意を促した場合、たとえそれがどんなに道徳的に”正しい”物言いであったとしても、子どもの感情の言語化はできていないと言います。
とにかくまずは、「いま、怒ってるんだね」と「感情」を受容してあげる。ただ、「受容」と「許容」の線を引くことは忘れてはいけないとも仰っています。
「怒り」は変わって!ですから、その子にとって必ず「変わって欲しかった」から怒った「願い」があると言います。もしかすると、自分が話をしたかったのに、他の兄弟姉妹の話をお母さんが先に聴こうとしたからかも知れません。本当に伝えたかったのは、「お母さん、お兄ちゃんの話じゃなくて、僕の話を先に聴いてよ!」の場合があるといいます。副島先生は、子どもたちに自分の「願い」の方を伝えられるよう大人が促していく必要があるといいます。「他人に怒りをぶつけること」をしなくても、自分の「願い」は伝えられるんだよ、ということを日々の中で積み重ねていって欲しいと仰っていました。
でも、考えてみたら、これ、大人になった今でも、なかなか出来ていないことが多いです。むしろ、大人だからこそ、歪というか、分かりにくくこじらせてしまってたりしませんか?
・怒り・・・変わって!変われ!変わりたい!
・悲しみ・・・助けて!自分の不遇をわかって!
・恐怖・不安・・・早くとって!
・うれしい・・・ふやして!一緒に喜んで!
「助けて欲しい」と素直に言えていれば、あっけなく事が済んでいたところを、言わなくても「分かってよ!」という「怒り」に何故かとってかわっていたりして、相手に「変われ!変わって!」をぶつけることがやめられなくなっていたり・・・。
その時「良かったね!」と「一緒に喜んで」欲しかっただけだったのに、どうせ誰も「分かってくれないし」といった「悲しみ」の言語化が出来ないままにずっと居座っているが故に、かえって人の不愉快を誘発する「自慢話」をしがちだったり・・・。
自分にある時、ある瞬間、湧き上がって来たその感情には、どんな「願い」があるでしょうか?先ずは、自分自身の「願い」に気づいてあげるところから、はじめたいですね。^^
ちなみに、わたしはこんな風に「感情」の言語化のお稽古をしていたりします。
↓ ↓ ↓
hanahiroinoniwa.hatenablog.com
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^