先日、カウンセリングでこんなお悩みを聴く場面がありました。
「わたし、人からつまらない人だと思われているみたいなんです。だから、おもしろい人になりたいんです」
そこでわたしは、クライエントさんに尋ねました。
「どんな人をつまらない人だと思ってますか?おもしろい人だと思っていますか?」
すると、クライエントさんはこう仰いました。
「つまらない人はわたしみたいな人。おもしろい人はわたしみたいじゃない人。」
うん、恐らく、そう来ますよね。そうお答えになるのではと思っていました。
何故なら、わたしも同じように答えていた時期があったので。
言葉って便利ではあるけれど、本当に罪作りなもので、はっきりと言語化して言い表した瞬間に、その人が持っている概念以上の意味は持たなくなってしまうんです。
そこで、自分の本当の望みを知るためには、手垢のついた言葉の概念を洗い落とすことが必要になるのですが、その作業が実は結構しんどいために、回避してしまっている場合も多いのです。
例えば、どんな時に、自分がつまらない人だと思われている感じがしますか?
・自分が一生懸命話しているのに、相手から心地よい相槌が返ってこなかったとき。
・面白い話をしたつもりだったのに、周りの空気が冷え切っていると感じたとき。
・合コンに参加したのに、自分の周りには誰一人として話しかけてくれる人が現れなかったとき。
・SNSへの投稿への「いいね!」数が、全くなかったとき。
・仲良しグループで出かけるのに、自分だけが誘われなかったと分かったとき。
これらは、ひとつひとつ状況こそ違いますが、その根っこにあるのはどれも共通して、
「自分はここに居るのに、どうして誰からも認められないの?!」
「どうして自分を大切にしてくれないの?!」
「どうして、私のことを分かってくれようとしないの?!」
という、怒りであり、哀しみなのです。
この怒りと哀しみは、恐らくある時期から、ずっとあなたが抱えて来たもの。表に出さないように、零れないように・・と、必死で抑え込んで、堪えて来たものです。なぜなら、表に出してしまったら、それまで誰にも頼れず、たったひとりで頑張って来た自分を否定することになってしまうから。
でも、そのことを受け入れられず、
「自分はつまらない人だから、おもしろい人になる努力をしなくちゃ!」
と、心の声を無視して、実体のない頑張りを続けていると、抑え込んだ怒りと哀しみはますます強くなるばかりで、いつか大反乱を起こしてしまうでしょう。
ちなみに仮に、あなたのことを「つまらない人」と、もし面と向かって言ってきた人がいたとして、恐らくその人にも、他人のことを「つまらない人」だと言わずにはいられない何か心の傷があるはずなのです。
「私を認めろ!」
「わたしを大事に扱え!」
「どうして、無視するのさ!」
わたしは、哀しいし、怒っているんだよ!
その感情の底に行き着いたとき、本当の絶望を体験し、ようやく過去から自由になっていくことができる。でも、そこまで行くことは、本当にしんどい。実は死ぬことよりしんどいかもしれない。
言葉の概念の解体作業は、これからも続きます。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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