今日は1日、HCMカウンセリング 精神科医 高橋和巳先生の講座でした。
2年目の受講となりますが、毎回新しい気づきと、学びの深まりを感じています。
大学2年間の学びと、高橋先生の講座に最初に出逢えたことは、私にとっては本当に幸運なことだったと思っています。なぜなら、どこまでが自分の技量で向き合えるケースなのか?どこからが、リファーが必要なのかが、明確に分かって傾聴なり、カウンセリングに臨めるからです。
今日も数え切れないくらいの情報量でしたが、なるほど!そうか!と思ったことの覚え書きをしておきたいと思います。
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講座の中で、ヘルシーな発達を遂げた成人期の大人と、愛着トラウマのある人にとっての「自己主張」の違いとは何か?についての言及がありました。
そもそも、ヘルシーな大人の通常の「自己主張」とは、「自己愛」に基づいた「主張」であり、発信のベースには、「好き」「嫌い」「快」「不快」といった感情から発せられるのだそうです。
例えば、
「これが好きだから~~したい!」
「これが不快だから~~したくない!」
のような感じです。
「自己愛」とは端的に言えば「自分可愛さ」。
つまり、「私は自分を大切にしたいんだ!」という気持ちですね。
なので、カウンセリングに来談する際にも、
「自分がもっと、楽になりたいんです!」
「~~が希望なので、助かりたいんです!」
とスタンスが軸です。
一方、愛着トラウマを持っている方と言うのは、適切な「自己愛」が育っていません。愛着の否認があるので、自分が助かりたいとか、楽したいとか、甘えたいという気持ちはあったとしても、強い抑圧下にあり、表には出てこない状態です。そこで、来談の際には、
「会社に行けないことが周囲に申し訳なくて・・・」
「子どもが~~してしまうのは私のせいだと思う。申し訳なくて・・・」
と、他人の責任を自分の責任として全部背負って、責任感からの問題解決が理由となります。
そう言えば・・・と、かつての自分を振り返りました。
すると、見事に当てはまっておりました。
「わたしが居るから、場の空気が悪い気がして・・・」
「わたしのせいで迷惑をかけているんです・・・」
自分が楽しいと思ったらダメ。
楽しちゃダメ。
人に頼ったり、甘えちゃダメ。
みたいな感じ。
高橋先生は、このような発言が出てくるベースには、
”すみません、生きてます。”
があると仰っていましたが、これも、まさしく言い得て妙でした。
愛着トラウマを負っている人というのは、
”人の役に立つ自分であれば、生きていてもいい”
と、ようやく生存の許可を出せている状態です。
つまり、自分が役に立っていないと思った時や、人から”役立たず”と思われたと感知するというのは、生きる許可、居場所を失うことと等しいわけです。だから、それを守るためなら、過剰に頑張るし、過剰に人に合わせるし、自分が潰れるまで弱音も吐けない人が多い。
これは、本当に辛いこと。
目の前に現れた成人のクライエントが、どちらも自分のことを訴えているようでいて、その中身とベクトルがまったく違っていること。これからも丁寧に聴いていきたいと思いました。時間はかかるかも知れないけれど、1滴ずつでも心に自分への愛着をためていった先には、必ず出口は見えてくるはずですからね。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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