わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

「嘘をついている」という後ろめたさが、自然と人間関係の弱みになる

Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2

 

 愛着トラウマを負って成長した人と言うのは、ヘルシーな愛着の基盤を持って成長した人たちが、「あたりまえ」でかつ、それを守っていると「安心・安全」と感じている社会的倫理規範を、違ったルートで身に着けて大人になっています。

 

 例えば、「親を大切にし、敬いましょう」

 

という一度は耳にしたことがある社会的倫理規範があったとします。養育者から十分なケア(協働調整)を受けられていないために、基本的信頼感や愛着を育めてこなかった人と言うのは、心の中では・・・

 

「え?なぜ、あんなひどい親を大切にしないといけないの?」
「どうして家族に害悪しかもたらさない親を敬えるの?」

 

と思っています。

 

 ですが、自分の周りの社会の大半の人々は、どうやら「親を大切にし」、「敬って」いるらしい。ここでもし、自分が、「あんな親、地獄に落ちればいい!」「あんな親は誰かに刺されてしまえばいい!」と正直に言ってしまうと、その社会の大半から零れ落ちて、その輪の中に居られなくなってしまうかも知れない・・・そうなったら生きていけない。何としてもその規範を守らなければ!

 

そうして、社会の大半が、特に意識することなく、努力することなく、なんとな~く同意している規範を、必要以上に力んで、必死に、除外されてしまう恐怖故に、守ろうとするようになっていきます。

 

 

あなたの周りにもいませんか?

 

やたら正論を振りかざす人。曲がったことが許せない人。過剰に社会に適応しているように見える人。外面は良いのに、家族には横暴な人。

 

 

ひょっとしたら、その人は、愛着のトラウマを負っている人なのかも知れません。
彼らにとっては、

 

社会的規範を破る=死

 

なのです。私の場合は父がそうでした。

 

 

そして彼らは、潜在的には自分自身に、そして周囲に「嘘をついている」ことを知っています。だからこそ、その後ろめたさから、利害のない第三者に異常に「優しい」(優しく見える)人が多い。それは一歩間違えると「自己犠牲」的な側面をもっていたりもします。

 

周囲に対して必死に「いい人」を演じるのですが、殊に「嫌いな人」に対しては、(嘘を隠す分)過度な媚びを売ってしまうこともあるでしょう。「良い人」レベルは相手を嫌いなほど上がってしまうのです。そのため、わざわざ自分自身でトラウマの再演を準備してしまうことにも気づけません。理由は分からないまま、愛着の傷は益々深くなっていくだけです。日々、疲弊していくだけ。

 

 

自分を偽っている恨みと鬱憤は、皮肉にも自分が最も安心できる人、絶対に自分を見捨てないと思う人、支配可能な人に向けられていきます。我が家の場合は、母や私たち娘ですね。

 

 

ヘルシーな人達にとっては「あたりまえ」の社会的倫理規範によって、傷つけられてきたこと・・。本当に大変だったし、しんどかったし、辛かったと思うのです。「あたりまえ」という暴力に長年、晒されてきたのですから。
そこに所属できない自分を隠し、バレたらみんなから見捨てられる、自分の居場所がなくなってしまう・・という恐怖に怯えてきたこと、わたし自身もそうでしたから理解できます。

 

 

皆にとっての「あたりまえ」が自分にとっては「あたりまえ」ではなかったこと。

 

先ずはそのことを知って、ひとつひとつ、お日様の下に挙げていくことが良いかなと思います。受け入れるとか、認めるとか、許すとかは、その先にあることですからね。

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

 

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