わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

事態は再び転ず

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昨年の夏から始めたこのブログですが、
改めて、数えるほどしか明るい話題を
書けていないなあと思いました。

 

しかも、内容は、「死」とか「グリーフ」とか
どんどん辛気臭くなってゆく。

きっと初めてここを訪れる方は、
「なんか重たい内容のブログだなあ~」と
踵を返してしまう人も
まあ、多いのだろうなあ・・と思っています。

 

で、今日はそんな中、史上最高に
辛気臭い内容を書くこととなります。

 

 

倒れた父の不具合の原因が
昨日判明したのです。
ガンでした。前立腺ガンでした。

 


倒れた際、下半身が麻痺していたことから、
ドクターが先ず疑ったのは「脳梗塞」でした。

 

けれど、脳のMRIを診ても、
脳内の血流は思いのほか綺麗で・・・

 

これは脳の問題ではないのでは?と思った
ドクターが次に疑ったのは、
脊髄の破裂骨折ではないか?とのことでした。


入院した病院では高度な外科手術が出来ないため
県内の日赤病院への転院をするように言われたのです。
これが入院から3日目の夕方。

 

この時、脳の状態が落ち着き、
リハビリをすれば下半身も回復するだろうと
思っていた家族全員が落胆しましたが、
最悪、手術の予後が悪く、車椅子生活になったとしても
生きてゆくための介護ならみんなで協力してやってゆこうと
腹をくくったのが土曜日の夜でした。

 

 

ところがです。
昨日、日曜日の夜のこと。
なんだか胸騒ぎがして母に電話をしてみると、


「いま、先生と電話で話が出来てね・・・
お父さん、ガンだって。」

 

「前立腺のガンが脊髄を圧迫して
下半身に麻痺が出ているみたい。
これから手術になるのか?
年齢的に他の治療方法になるのか・・
まだお父さんには告知してないんだって・・」

 

などと言い出すではありませんか。

 

 

話を聴いた瞬間に、
ベルの宣告を聞き、そこから死に至るまでの光景が
一気にフラッシュバックしたわたしは、
猛烈な腹痛と吐き気に襲われ、
母に「ごめん・・」と断ってから、
いったん電話をおき、
しばらくの間トイレで下痢と嘔吐を繰り返しました。
もう、わたしの中で、何かが振り切っていました。
このままもう、いっそ死んでもいいとさえ思いました。

 

身体の状態が落ち着き、
母に再び電話をかけなおし、
これからのことを話すのですが、
話になるわけがないのです。


なぜなら、
面会は出来ない、
移動もできない、
県外の人間は入室お断り、
県外の人間と接した人も2週間の面会お断り・・
の制約の中、もう何をどうしていいのか、
具体策は何ひとつ浮かびません。

けれど、これが今の地方医療の
リアルな現実なのです。
手術のための転院さえ、
一般病床が確保できていないために
通常なら推薦状さえあれば、
すぐに転院できるはずの
大学病院のベッドにも空がないのです。

 

 

最後には母は、

「お父さんは、こういう運命だったのよ・・
もう、いいわよ。もう、いいわよ。」

と言い出す始末。

 

 

これまでは、”生きるための介護”だった話し合いが、
一気に、”いかに看取るかの介護”に変わってしまったのです。

 

 

ガンが今どのステージなのか?
脊髄への転移が進んでいるのか?
より詳細な検査が必要になり、
父への告知はそれからになるようですが、
その告知さえ、たったひとりで聴くことになるであろう
父のことを思うともう不憫でなりません。

 


よもやこのまま再会が叶わずに
死に別れるようなことになったらどうしよう・・・と、
昨日はそのことばかりが頭の中を駈け巡り、
結局一睡もできませんでした。

 

 

こんなに短い期間に、
大切な存在が次々と・・・・

 


わたしの人生って一体何なんだろう?
そう思わずには居られません。

 


自分の頭と気持ちを
少しでも整理したくて・・・
ただ、それだけを頼みに書いてます。
書くことでわたし自身が
少しだけ自分の輪郭を
取り戻すことができるからです。


ずっとSNSで記事はシェアしてきましたが、
今日を最後にしばらく止めます。

 

 

これから益々このブログは
辛気臭くなってゆきますので、
お心が弱っている方、
フラッシュバックがおきる可能性がある方、
また、こう言った内容が苦手な方は
どうか御覧にならないようお願いします。

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき