わたし歩記-あるき-

心と向き合う写真家の学びの記録*

やっと父と連絡がとれました!

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先ほど、母から電話があり、
やっと父と直接話が出来たとの連絡がありました。

 

今回も、たくさんの方に
不安な気持ちを支えていただきました。
本当に本当にありがとうございました。

 

これで少し冷静に今後のことを
考えられそうな気がします。

 

 

そもそもどうして直ぐに連絡がとれなかったの?と
母に尋ねたところ、
ことが起き、救急車を呼んだあと、
この後の入院を見越した母は、
大混乱の中、思いつく限り、
ありったけの入院に必要な品を、
紙袋に放り投げるようにして
詰め込んだそうなのです。
その中にはもちろん、
父の携帯電話もありました。

 

ところが・・・

 

そもそも普段母と一緒に
行動することが多かった父は、
携帯電話を日頃からほとんど使わない人でした。
当然、それは”スマホ”などと呼ばれる代物ではなく、
もはや10年以上は経っているだろうと思しき
お飾りと化した”ガラケー”です。


わたしと妹が帰省するたびに、
「お父さん、もしもの時に心配だから、
お願いだからスマホに変えよう!」と迫っても、
「そんなものは、いらない!」
と突っぱねるばかりで、
「次の帰省で必ず手続きするからね!」
と最終宣告したのが昨年の秋のことでした。

 

 

父のガラケーは、案の定、
充電がゼロの状態で病院に運ばれていました。
なおかつ、運が悪かったのには、
荷物を預かった看護師さんが
所持品を部屋の棚にそれなりに
仕舞ってくれたそうなのですが、
携帯電話の本体と、充電用のアダプタを
別々の場所に仕舞ってしまったことでした。
若い看護師さんだったそうですから、
それが携帯電話のアダプタだなんて
思いもよらなかったのでしょう。
身体が思うように自由にならない父は、
充電アダプタがどこにあるのか
自力で見つけられなかったようでした。

 

とは言え、それ以上に、
入院からの3日間、検査、検査で
父もかなり疲弊してしまい、
更には、オムツをあてがわれて、
この中でおしっこやうんちを
するように言われ、気持ちが沈み、
人と話す気力もすっかりなくなっていたそうです。

 

これは無理もないと思いました。
父はこの間まで排泄を自分で
当たり前に出来ていた人です。
しかも今だって幸い
意識ははっきりしているわけですから、
このことがどれだけ屈辱に感じられたことか・・・。

 

「お父さんがね、みゆき、手紙ありがとうって。
胸がいっぱいになったって、泣きながら言ってたよ。」

 

 

母からそう告げられた時、


「もうっ!そうでしょう?
あの傑作文を読んで
涙が出ない人の方がおかしいのよ!(笑)」

 

とおどけたわたしも、
本当は涙で声が震えていました。
ほっとしたのと・・・それから、
これまでずっと、
わたしを縛って来た何かが
ゆっくりほどけてゆくのを
感じたからでした。

 

 

 

手紙には、

「お父さんがいま、悲しいと感じていることは
わたしも悲しいよ」
「お父さんがいま、嫌だと思っていることは
わたしも嫌だと思ってるよ」
「お父さんがいま、悔しいことは、わたしも悔しいよ」


でも、そう思ってしまうことは、
それでいいんだからね。

 

と書きました。

 

 

考えてみたらこれらは、
わたしがずっと父に、両親に、
口に出して言って欲しい、
そう思ってきた言葉ばかりでした。

 

 

その言葉欲しさに、
両親から寄り添ってもらっている実感欲しさに、
これまでどれだけ心の勉強をしたり、
セラピーを受けたりしてきたか分からない。
その”枯渇感が埋まれば、
わたしは変われるのだと
躍起になっていたけれど・・・

 

 

欲しかった言葉を、
一番それを発して欲しかった相手に
自分から差し出せたとき、
まるで呪いの魔法を解く
最後のピースがハマったかのように、
わたしは自由になった気がしました。

 

そして、自由になったのは、
わたしだけではなく、
父も一緒だったように思うのです。
長い長い、”闘い”が、
ようやく終わった心地と言ったら、
大げさかもしれないけれど・・・。

 

 


父は月曜日から
リハビリがスタートするそうです。
脳のMRIを撮ったところ、
血流もきれいで、
回復の可能性も高いとのこと。
あとは父の生命力と
頑張りにかかっています。

 

まだ当分面会は出来ませんが、
わたしのできる形でのサポートを
続けてゆこうと思っています。

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき