今日から2月。午後、朔日詣に氏神様にご挨拶をしてきました。天満宮だけに受験生と親御さんと言ったペアが目立ちました。深々と祈りをささげる後ろ姿に「がんばってー!」と心の声を届けずには居られませんでした。
1月23日を最後に、父が倒れて以来、毎晩のようにLINEのビデオ通話で連絡を取り合っていた妹と、ぱったり音信不通になってしまいました。その日は取り乱した母が妹に「東京からこっちに戻って来てよ!」と電話で強く迫った日でした。直後、わたしは彼女と話をしたのですが、電話を切る直前、「もう、何もかもが嫌になった。わたしの人生ってなんだったの?こうやって親の介護で終わっていくの?結婚もしていない、不安定な仕事をする独身女の末路って所詮こんなもんなの?でも、親を見捨てたくない自分もいるんだよ。こんな風に思ってしまう自分がもっと嫌なんだよ。辛い。しばらくの間、お姉ちゃんとも話したくない。ごめん。」そう言って、通話は一方的に切られてしまいました。それからは、メッセージのみで「元気?大丈夫?」などの短い問いかけに、「うん、大丈夫」程度のやり取りが続き、今日に至ります。
未来に待っている大きな「悲嘆(グリーフ)」に対して、実際にそれが起きる以前から発症する悲嘆を「予期悲嘆」と呼びます。これはグリーフの初期研究者であるリンデンマンが名付けた概念です。一般に、近い将来愛する家族員を喪失することが予期される場合、前もって悲嘆することによって、現実の死別に対する心の準備が行われることを言いますが、わたしはそれに関しては賛同しかねます。なぜなら、それはあたかも悲嘆には味わうべき絶対量があり、それを生存中に前もって経験すれば、死別後の悲嘆がその分和らぐと言っているかのように聞こえるからです。そして事実、わたしはベルのガンが分かった瞬間から未曾有の予期悲嘆に襲われたわけですが、だからと言って、ベルの死後、自分の悲嘆が軽減されたなどと言った実感はなかったからです。
いま、妹と母に起きている混乱と抑うつは「予期悲嘆」のひとつの表象なのだと考えられます。「予期悲嘆」の初期では、現実を直視するのが辛すぎて患者を遠ざけたり、核心についてのコミュニケーションが不能になることもあるようです。わたしは、自分が過去に経験したグリーフを、知識として学び、理論で理解した分、現段階では2人よりは少しだけ冷静で在れているのかもしれません。そして、この時期に必要なのは、出来るだけ客観的なデータだったり、見通しだったりするのですが、父本人と会えていない分、「予期悲嘆」が加速してしまうのは、ある意味無理もない話なのです。その上、医師からの家族へのインフォームドコンセントが、どう考えても不足し過ぎているように感じます。
明日、父が再び転院するのですが、少しでも客観的な情報を得られるよう動こうと思っています。とにかく「予期悲嘆」の段階であれこれ将来に関わる遺される者の大事を決めていくのは、結果、誰の為にもならないと思うので。
きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき