わたし歩記-あるき-

*心理士を目指す写真家の学びの記録*

慌ただしく転院

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昨日の晩、再び母から電話があり、
明日(つまり今日)、市内の日赤病院へ
転院することが急遽決まったとのことでした。

 

救急車で移動することになったので、
父と母は実に1週間ぶりに
顔を合わせたそうなのですが、
父はそれなりに気丈だったとのことでした。


救急車に乗り来む前、
母はここ数週間の行動について
事細かに質問を受けたそうです。

 

例えば、大人数での会食はあったか?
県外へ移動していないかどうか?
県外の人間との接触はあったかどうか?

 

などなど・・・。

 

焦る気持ちのまま、
実家に帰省したりしないで
本当に良かったと思いました。
一方で、やはり実家へ帰ることは
当分の間、控えなければいけない現実を
突きつけられたようにも感じました。



父のことはもちろん心配ですが、
わたしは母の心の状態も
ものすごく気がかりだったのです。
なので、母のためにも
是が非でも帰省したいと
考えていたのですが・・・。

 

 

久しぶりの再会を惜しむ間もなく、
日赤病院に到着するやいなや、
父と母は別々の出入り口に通され、
再び離れ離れとなったそうです。
(これ、思わず強制収容所みたいと思ってしまった・・)

 

 

そして、母は病院施設の外にある
”デイルーム”なる場所で、
入院に必要な書類を記入し、
部屋の中のボタンを押し、
スタッフと共に書類の確認を済ませると、
「では、お帰りください」
と、医師からの詳細な説明があるでもなく、
帰されたそうです。

 

 

「もう、何がなんだか・・
荷物だって、お父さんが分かるように
整理整頓してあげたかったのに・・・」

 

と、力なく漏らす母に、


「お母さん、一人でよく行ってきたね。
ひとりにしてごめんね。ありがとうね。」
「お父さん、少しの時間でも
お母さんの顔が見られて良かったね・・・」

 

と、労うことしか出来ませんでした。

 

 

そんなわたしも、
落ち込んでばかりいられません。
昨日から、少しでも前立腺がんについて知ろうと思い、
勉強を始めました。


先ずは、これからどんなことが起きてくるのか、
最低限の知識は
知っておかなくてはいけないと思いました。

 

 

そんな矢先に、やはり義理のお父様を
2年前に前立腺がんで亡くされたと言う
同じ大学の心理学部の仲間が参考になればと
ネットのガイドラインを教えてくれました。
本当にありがたかったです。

 

 

前立腺ガンと言うのは、発症してから
40年近くかけて進行してゆくガンだそうで
それゆえに60代以降に見つかる方が
多いとのこと。

 

そして、早期発見できるほど、
完治の可能性も高いガンのようです。
聞きかじった症状からの判断ではありますが、
父はステージ3もしくは4へと過渡期だと
考えられます。
数カ月でどうこうなってしまう類の
ガンではないようなので、
それが分かっただけでも、
気持ちがほんの少しだけ落ち着きました。
きっとまた逢えるはず・・・。


 

女性のわたしからすると、
前立腺と言うのはどことなく馴染みがなく、
自分からは遠い臓器に思いがちでしたが、
男性の発症者は近年増加傾向とのことです。

 

すぐに夫にそのことを告げ、
来年の健康診断では、オプション検査に
前立腺の腫瘍マーカーを選択するように
アドバイスしました。

 

 

ガンの告知は家族にとっても
心身的に辛いものですが、
先ずは正しく罹患したガンについて知ることは
大切だと感じました。
このご時世、医師がひとりひとりの患者と
満足にインフォームドコンセントの時間を
とってくれる可能性は
残念ながら低いと諦めました。
(特に医療がひっ迫している地方病院は。)
家族側がしっかり勉強しておくことで
最高ではなくても、最善の選択が
選べる場合があるのかも知れません。
 


いま、出来ることをする。
淡々と、する。

 

 

昨日は取り乱しましたが、
少しずつこれからの未来を、
現実として描いてゆく方法を
探ってゆこうと思っています。

 

 

 

 

 

 

きょうも、最後までお読みくださり
ありがとうございました^^
さとうみゆき