わたし歩記-あるき-

心理カウンセラーでもある写真家のブログです

愛着障害と言っても、その見立て方は複雑です

 

 ここ数年で、「愛着障害」について書かれた著書やYouTube番組などが増えてきたおかげで、大学等で心理学を学んでいない一般の方にも、愛着トラウマを負った心の特性や傾向が広く知られるようになってきました。

 

これはとても良いことだと思います。

 

ただ、AC(アダルトチルドレン)が知られるようになった時と同様、その見立て方があまりにも煩雑であるために、「私は、愛着障害だったんだ!」と、僅かに呈示された性格傾向等を見て、決めつけたり、判断してしまう方も少なくありません。

 

 実は、「愛着障害」だと思っている方の殆どが、「愛着不全」であることの方が多いのです。

 

「愛着障害」と「愛着不全」。両者はどう違うのでしょうか?また、何が共通なのでしょうか?

 

まず、共通部分から申し上げると、どちらも養育者側に問題があって、発生する問題だということです。

 

いま、敢えて「養育者」と書きましたが、はっきり申し上げるなら、それは紛れもなく「母親or母親と同等の役割を果たした養育者」によってもたらされた問題です。

 

 

 まず、「愛着障害」についての判断基準ですが、養育者が軽度MR(知的障害)であるということが一つの見立ての目安となっています。軽度MRの養育者は、感情に一貫性がなく、子どもへの適切な共感と協働調整が行えません。当然そこには身体的・心理的虐待が伴います。結果、その子どもは、安定した自律神経系を育むことが出来ず、その日常は、常に不安と緊張状態に置かれてしまいます。

 

 親に愛情や共感を求めても得られなかったことから、子どもは自己の感覚が薄く、存在がどこか異質で、まるで幽霊のようだと表現されたりもします。親や社会や人間関係への信頼や、期待が、”悪い意味”でありません。その一方で社会規範を真面目過ぎるほど厳守します(過剰適応)。自分にも厳しいですが、他人にも厳しくなることもあります。彼らにとっては、「社会規範を守ること=命を守ること」のため、何をするにも、どこに行くにも緊張状態です。それはもはや、無自覚レベルで行われます。そのため、気づけば、いつもクタクタです。

 

 自分が幸せになりそうになると、意図的にそれを遠ざけようとしたり、自ら握りつぶすようなことをしてしまう方もいます。何故なら自分がそれを受け取るに値しないと、ずっと思わされてきたからです。幸せを手にしてしまったら、これまで我慢して頑張ってきた自分を全否定することになることが、耐えられないのです。「いつだって私が悪いんだ」「私さえ我慢すればいい」「ああ、消えてしまいたい」・・そんな心性が常に彼らを支配しています。そしてこれほどまでに養育者によって傷つけられているにも関わらず、「私の方が悪かったんです」「親は良くしてくれていました」といって、怒りをあまり見せないのも特徴です(認知の歪み)。

 

 

 一方で「愛着不全」の方の心性は、似ているようでまるで違います。

 

先ず、彼らの養育者は、見た目には正常知能であったり、社会的にも高い地位についていたりする常識人である場合が殆どです。では、何がヘルシーな成人期の養育者と違うのかと言うと、その心理発達段階が、成人学童期~成人第一期でとどまっているという特徴を持ちます。要するに、完全に大人になり切れていないまま、親になってしまったために、子どもの心情に適切に寄り添うことが困難なのです。

 

 成人学童期の養育者は、子どもが小さい頃(乳幼児期)は、適切に機能しますので、子どもとの愛着形成は出来ます。混乱が始まるのは、子どもが思春期を迎える頃です。自身が大人になっていないために、子の反抗期を受け止めることが出来ません。自身も反抗期を越えた経験がないためです。

 

 通常、子どもは二次反抗期を迎え、親から押し付けられた規範にNOを突き付けます。そんな子どもに親は全力で立ち向かいます。激しい闘争の末に、子どもは「親も神様じゃないんだな。親も人間なんだ。いつも正しいわけじゃない。私は私のルールで生きても良いんだ!」という心性に至り、無事に成人期へと入っていきます。

 

 ですが、成人学童期の親は、子どもの反抗に立ち向かうことが出来ず、逃げ出します。怖がってみたり、深い話になろうとすると、子どもを避けたり、自分の話をあまりせずに、「あなたはあなた、私は私で、それぞれ自己責任で生きていきましょうね!」と言ったりもします。一見、物わかりの良い自由放任主義だったり、友達親子という単語も流行りましたが、こうしたプロセスは、子どもが自我を確立するための反抗期を完結できず、その子が大人になった時には、心身ともに親の与えた規範から離れられなくなっています。人と小学校5年生程度の対等な関係は作れても、自分より弱い立場の者を世話したり、年長者や権威に上手く従うことが出来ず、会社では、扱い難い人として、疎まれてしまう・・なんてことが起きたりもします。

 

 成人学童期の親に育てられた子は、なまじ、幼少期に弱いながら「愛着」は形成されているので、親に対して、「自分を分かって欲しい!」という欲求は持つことができます。でも、当然それが得られないとなると、大人になるにしたがって「怒り」へと変わり、対象は親から他人へ、さらにはパートナーへと変わり、常に、「自分を100%で分かって欲しい!」「まだまだ、足りない!」という熱病のような渇きを抱えることになってしまいます。これが、「愛着不全」の人が直目している、本当の地獄です。これがエスカレートしていくと、境界性パーソナリテイ障害へと発展します。

 

「愛着」が無い分、「愛着障害」の方が、自分の親の正体が分かってしまえば、急激に回復に向かったりもします。

 

 まとめると、「愛着障害」と「愛着不全」の一番大きな違いは、微弱ながら「愛着」があるかどうか?養育者による、虐待があったかどうか?そして、親に対して「分かって欲しかった!」という怒りがあるならば、それは「愛着障害」ではなく、「愛着不全」だということ。

 

 

 両者へのアプローチは、似ているようで全く違うものなのです。

 

 

きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。

 

写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき

 

 

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