今朝、インスタにも投稿をしたのですが、昨年末から、なんとベリーダンスのレッスンに通い始めました。
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年末年始に、ごく近しい一部の友人には話していたのですが、
「え?今日ってエイプリールフールだった?」
と、あまりの意外性に驚く人もいれば、
「あー、なんか、すごく合ってる!分かるわ~!」
と、当の本人より納得してくれている人も居たりと様々でした。
でもそんな友人たちみんなに共通しているのは、
「頑張って!ステージに立つときには応援に行くから!」
と、まだまだ遥か彼方の未来へと希望を飛ばしてくれていること。^^
いったい、いつになるのやら・・そして、そんな日は来るやら来ないやら。(笑)
さて、ダンスはもとより、スポーツは言わずもがなですが、私にとって身体を動かして何かを学ぶ・・なんてことは、人生始まって以来のことでして・・・。
うん、運動事、運動のある場所・・避けてた。なんか、苦手・・って思ってて・・・。
というのも、やはり、学校時代の体育の授業にその原因があるように思います。
ベリーダンスを始めてみて気づいたことですが、昔から、思いのままに走ったり、跳ねたり、飛んだり、踊ったり・・と、身体を動かすことが、別段嫌いだったわけではなかったのです。むしろ好きだったのかも知れない。
でも、体育の授業で、集団競技というものをするようになった頃から、シュートが入らない、サーブが決まらない、リレーで足を引っ張る・・・などなどなどなど・・・自分のせいで、チームが負けたり、ペアを組んだ人の足を引っ張ったりして、技術がある、運動が出来る子たちからの、冷ややかな視線や、あいつさえいなければ勝てたかもしれないのに・・みたいな想念だとか気配が怖くて、体育の授業がある日が苦痛でしかなくなっていったのでした。
特に、小学校、中学校って、体育が出来る子がクラスやイベント事のリーダーって感じ、多くないですか?その子たちに存在を認められないと、学校生活ってどうしても生きずらい・・・よね?そういうの、今もかしら?
その頃に、「私は運動神経が悪い」、「私はスポーツはやっちゃだめ!」「私は人に迷惑をかけてしまうタイプの人間」、「なるべく目立たないようにしておかなくちゃ」、「私なんかには発言権はない」、「存在してごめんなさい。」、「ここに居てすみません」みたいな思い込みをがっつりインストールしたのだと思う。
私にとって、その観念以上によくなかったのは、他人の評価さえなければ、自分にとっては楽しく嬉しく動いてくれていた自分の身体のことを、「私が虐げられるのは、成果を出せない、このぽんこつな身体のせいだ!」と恨むようになってしまったことだったと思う。
そう、長い間、私は自分と自分の身体を切り離し、(こうありたい・本当はこうあったはずなのにと思っている)自分という思考で(必死に働いてくれていた)身体を虐待してきたんだと思う。
ベリーダンスは、誰の為にやってるわけでもないし、これを人に教えたいとか思ってやってるわけでもない。
毎日、毎日、基礎練習を好きな時間にやって、行ける時にレッスンに行って、先生に形を修正してもらう・・って感じなんだけど、出来なかった動きが少しずつ出来るようになるたびに、初めて自転車に乗れた時みたいな気持ちになる(正確には、初めて自転車に乗れた時の気持ちなんてとっくに忘れていたから、こんなに嬉しいことなのか!と再体験しているって感じだけど)。そして、思いと連動するように頑張って動いてくれている身体を感じるたびに、心の底から、「あーー!嬉しい!」って感動が湧き上がってくるし、「この身体、ありがとうー!」って涙が出そうになる。
これまでの半世紀、「自分」という仮想現実があったとしたら、それが「身体」という仮像現実に鞭を打っていたような人生だった。
でも、ようやく自分の身体と和解して、繋がれた気がしてる。
生きてるって、こういうことだったんだな・・・って。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
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