「撮りたい」・・と思う場所やモノ・コトが、これまでと何となく変わってきたかも・・・。そう薄っすらと感じ始めたのは、今年の9月ごろだったか。
ここ十数年、毎年のように、いまかいまかと待ち続けていた昭和記念公園のコスモスの開花に合わせ、嬉々として撮影に行ったのに、撮影開始から、15分も経たない内に、目の前の麗しい景色とは裏腹に、妙に冷めている自分に気づいてしまったのは、まだ記憶に新しい。
取り敢えず、いつもの場所で、いつものように、いつものレンズで、いつもの好きな感じに撮影して、そそくさと帰宅。撮れたけど、なんだろ?たまらなく不完全燃焼の感じがしたのを覚えてる。
で、インスタに投稿したのがこれ。
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でも、その違和感も”たまたま”だったのかも?と、人間と言う生き物は大概思うわけで・・・。後に続く、曼殊沙華、萩、金木犀、と、やっぱり、いつもの場所で、いつものように、いつものレンズで、いつもの好きな感じに撮影してきた。
8月半ばからは富士のX-T5を使うようになっていたので、その目新しさからか、いつもの場所で、いつもの好きな感じの撮影の時間をこれまで通りに過ごしたこともあったけれど、X-T5に慣れた頃には、あの違和感がやっぱり戻ってきてしまった。
これって、いったい、何だろう?
ずーっとそのことを考えていた。
で、ようやくその答えにたどり着いた。
それは、「予測不可能を楽しみたい」と思っている自分がいることだった。
あの季節に、あの時期に、あの時間に、あの場所へ行けば、
あの被写体に出逢えて、あんな様な画が撮れる・・・
それは、私にとっては予測可能なことで、それはそのまま心理的「安心・安全」に繋がることだった。
いつもの場所で「撮る」ことで、心に安心を感じられたのは、それが予測可能という範疇にあったからだと思う。その反対にクライアントを撮影することは、予測不可能なことであるから、私は不安を感じ、失敗しないように、間違えないように、と必要以上の頑張りをしてきたのだろうと思う。
でも、その「予測可能」な状態から飛び出して、「予測不可能」な何かを味わいたい!と感じ始めているということは、わたし自身の中(私という神経系のプロファイル)に、確実に「安全基地=後天的なヘルシーな愛着」が培われたということなのかも知れない。
愛着のセキュアベースの土台ができたことで、探索へ出かけらるようになったのだ。
きっとここから、ようやく本当に私らしい写真が撮れそうな気がしていて、すごく楽しみ。たとえそれが、万人に受け入れられないモノだとしてもね。^^
ポリヴェーガル理論で言うところの、「緑(腹側迷走神経複合体)&赤(交感神経)」がほど良くブレンドされた、「遊び」のステージを味わっていけそうな気がしてる。
きょうも最後までお読みくださりありがとうございました。
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(60分 3,300円)
写真家・認定心理士,産業カウンセラー
さとうみゆき
写真を眺めてほっと一息^^
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